Ce n'est rien.

Railtrip Landscape History

稲毛荘と、枡形山の展望台


前回の廣福寺から、坂道を南へ上って、
生田緑地に入りました。


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生田緑地のエリア北部には、「枡形山」 という山があります。
標高84メートルの小さな山です。

生田緑地の正面ゲートから入ると、日本民家園や中央広場へと向かう道の、
その右手にある高台が、枡形山になります。





枡形山には、平安末期 - 鎌倉 - 室町のころ、
枡形城という中世のお城がありました。

1504年には、北条早雲と今川氏親が枡形城に入り、
ここから立河原(立川)へ向かい、山内上杉・古河公方軍と戦っています。
(長享の乱・立河原の戦い)

「長享の乱」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年9月2日 (金) 09:58
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/長享の乱


テレビ番組や雑誌で紹介されるような、
天守閣や、何重もの城郭がある立派なお城ではなくて、

ある程度の防御能力をもった砦というか、
中継所、宿泊所のような存在だったのかも。

北条早雲を好きな私としては、早雲が滞在したことがある、
というだけでも、ちょっと誇らしい気分になります。

相模・駿河の方面から、武蔵府中へと軍勢を動かしていくのに、
きっと便利な立地だったんでしょうね。



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たいして息を切らすこともなく、枡形山の頂上に到達。
山頂は、平らな広場になっています。

子連れのママ友たち、散歩の夫婦、大学生のカップル、犬とそのご主人。
近所で暮らす人々がふらっと訪れ、この空間を楽しんでいる。

山頂の広場には、展望台があります。
エレベーターが付いてるんですよ。



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多摩丘陵の連なりと、多摩川沿いの低地に広がる数百万人の町並み、
武蔵小杉のタワーマンションに、横浜ランドマークタワー。

南西の方角には、富士山も見えるようですけど、
何度か訪れてますが、曇りだったりして、まだ見れたことがないです。

都心方面には、新宿のビル群、六本木ヒルズ、東京タワーに、
スカイツリーも見えます。

南武線が高架を走るとき、その車窓からいつも見ている、
川崎市民にとっておなじみの眺めです。



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枡形城を最初に築いたのは、稲毛重成だとされています。

稲毛重成は、鎌倉幕府の御家人であり、
川崎市内にあった荘園、稲毛荘の現地管理者を務めていました。

稲毛荘は、平安時代の後期、1150年代のころ、
武蔵守・藤原信頼と、源義朝(頼朝の父)との連携で成立し、
藤原忠通に寄進され、摂関家領になったと考えられているようです。
(「つわものどもの光と影、稲毛三郎とその時代」
川崎市民ミュージアム 2007 より)


稲毛荘には、本荘と新荘が存在し、
そのエリアは、稲毛郷・小田中郷・井田郷の3郷だったそうです。
(川崎市教育委員会サイトより)

小田中(こだなか)、井田は、
現在でも、川崎市中原区の地名として残っています。

もし稲毛郷が、この枡形山周辺のことだとしたら、稲毛荘は、
中原区・高津区・多摩区にまたがる、広い荘園だったことになりますね。



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武蔵国の実権を握っていた藤原信頼・源義朝は、
1160年の平治の乱で、平清盛に敗れ、殺害されてしまいます。

武蔵国は平氏の支配下になり、平知盛(清盛の四男)が武蔵守に就任。
武蔵の中心豪族である秩父一族(畠山氏・小山田氏・稲毛氏など)は、
平氏の家人として組み込まれます。

1180年に、源頼朝が挙兵し、南関東で勢力を増していくと
秩父一族は、平家方の立場を捨て、頼朝のもとに転向。
稲毛重成は、頼朝から稲毛荘を安堵されました。

稲毛重成が、稲毛荘を拠点とするようになったのは、
平氏の家人になったころ(1160年代)とも、頼朝に安堵されたころ(1180年代)とも。

「つわものどもの光と影、稲毛三郎とその時代」 川崎市民ミュージアム 2007
「稲毛重成」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月27日 (水) 15:25
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/稲毛重成


(この時代のおもな武蔵守)
1150 - 1157 藤原信頼
1157 - 藤原信説(信頼の弟)
1160 - 1167 平知盛
1184 - 1195 平賀義信
1210 - 1217 北条時房
1219 - 1238 北条泰時
「武蔵国司」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年9月10日 (土) 04:55
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/武蔵国司




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吾妻鏡では、稲毛重成が「稲毛氏」を名乗るのは、
1184年以降なんだそうです。
「稲毛重成」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月27日 (水) 15:25
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/稲毛重成


稲毛重成が北条政子の妹(異母妹)を妻に迎えたのは、
おそらくこの頃なんじゃないかなって思う。

(北条時政の娘たちの婚姻関係と、武蔵国)
北条政子 = 源頼朝(鎌倉殿)
阿波局(義時と同母) = 阿野全成(頼朝の異母弟)
娘(時房と同母) = 稲毛重成(武蔵秩父一族)
娘(母は牧の方) = 平賀朝雅(武蔵守・平賀義信の子)
娘 = 畠山重忠(武蔵秩父一族)
※ いずれも政子とは異母

頼朝の弟・阿野全成は、この枡形山から東に約1.5キロのところ、
同じ丘陵の連なりに立地する、威光寺(現在の妙楽寺)の院主を任されています。

多摩川河畔にあり、武蔵国衙(府中市)や鎌倉道にも近い、
この枡形山・稲毛荘の一帯を、頼朝は重視していたのかも。

幕府草創のころ、頼朝と北条氏が武蔵国とどう関わろうとしていたのか、
政子の妹たちを見ていくと、ちょっとずつ理解できるような気がする。



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稲毛荘は、藤原忠通から、その子孫に伝領され、
皇嘉門院聖子、九条良通、慈円などに渡ったあと、
「つわものどもの光と影、稲毛三郎とその時代」 川崎市民ミュージアム 2007

稲毛本荘については、1221年に、将軍家領(関東御領)になったことが、
北条義時の署名が付されている、関東下知状に残されているようですよ。

(川崎市教育委員会サイト・関東下知状)
http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000761.html




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枡形山を下りて、生田緑地の中央広場へ。
プラネタリウムがあるところです。

蒸気機関車に、ブルートレインも広場に展示されていますよ。
以前は新幹線も置いてあったような、あれ、置いてなかったっけな。



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