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Railtrip Landscape History

鎌倉幕府を歩く・宇都宮稲荷と、若宮大路幕府


If you want to feel Kamakura Shogunate


ここは、鎌倉、鶴岡八幡宮の二の鳥居。
新装された段葛のスタート地点です。


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二の鳥居から、若宮大路の東側を北へ歩くと、
すぐ近くの道端に、若宮大路バス停があります。


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バス停と、右に見える建物は、鎌倉彫資料館。
そのあいだに、一本の路地が伸びています。

路地のさきには。


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住宅の角っこに、寄り添うようにして鎮座するお社、
宇都宮稲荷神社です。

たくさんの観光客が往来する若宮大路、そこからひとつ外れると、
地元の人の生活の場があり、地元の人が歩くための道がある。

地元の人々に大切にされている、宇都宮稲荷神社。
この日も、通りがかりにお参りをされていく、地元商店のご主人の姿。

神社の境内には、ひとつの石碑があります。
宇都宮辻子幕府の旧跡です。


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頼朝が1180年に鎌倉に入ってから、最初に御所(幕府)としたのは、
鶴岡八幡宮の東側にあった、大蔵幕府

大蔵幕府はたびたび焼失し、そのたびに再建されてきましたが、
1219年の焼失を最後に、ついに再建はされず、

大蔵幕府の南側にあった、北条義時(政子の弟)の大倉亭のちかくを、
仮の御所とした。

1225年、新たな御所を造営することになり、大蔵から移転して、
この宇都宮稲荷神社の周辺を、新御所の地とすることに。

宇都宮辻子(うつのみやずし)という小道に面していたことから、
宇都宮辻子幕府と呼ばれたそうです。

「宇都宮辻子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2013年3月26日 (火) 05:55
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/宇都宮辻子






1219年
3代将軍・源実朝が暗殺される。

次の将軍として、鎌倉幕府と京の朝廷との交渉により、
藤原氏・九条道家の子、三寅(2歳)が選ばれ、京都から鎌倉に下向。

その年末に、大蔵御所が焼失し、
執権・北条義時の大倉亭を仮御所とする。

1221年 承久の乱

1224年 北条義時が死去、北条泰時が執権となる
1225年 大江広元、北条政子が死去

三寅は宇都宮辻子に居を移し、
1225年(嘉禄元年12月29日)、元服して頼経と名乗る

1226年、頼経は征夷大将軍宣下を受け、
鎌倉幕府の第4代将軍となる。

「藤原頼経」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年4月26日 (火) 04:34
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原頼経



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幕府の創設当初からの中心人物たちが相次いで死去し、
泰時を中心とする新たな世代が、鎌倉幕府を担うことになった。

頼朝・頼家・実朝、源氏3代の御所であった大蔵から、
宇都宮辻子に御所を移転させたのは、そうした世代交代の象徴だったのかも。

また、北条義時は大倉亭、北条政子は勝長寿院、
どちらも大倉に住んでいたんだけど、

その二人が死去したので、北条氏の拠点は大倉から、
泰時亭(若宮大路北端の東側)がある小町に移ることになった。

そのことを契機として、三寅の元服・将軍就任とともに、
御所も大倉から小町に移したのでは、とも考えられているようです。

北条氏の大倉亭は破却され、
最後に大倉亭に入っていた連署・北条時房は、小町亭(現在の宝戒寺)に移った。
(参考 : 「都市鎌倉の中世史」 秋山哲雄 吉川弘文館)


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そして私は、宇都宮稲荷から、小町のほそい路地を北へ。

北条泰時は、御所の移転にあたり、1225年、評定衆を設置し、
将軍・頼経のもと、有力御家人の合議による幕府運営をスタート。

1232年には、御成敗式目を制定した。


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こちらは、若宮大路幕府の旧跡。

1236年に、宇都宮辻子幕府から、
若宮大路幕府に移転したとされています。

宇都宮辻子幕府の石碑から、若宮大路幕府の石碑まで、
両者の距離は、およそ240メートルほど、すぐ近くに位置しています。

それぞれの幕府(御所)が実際にはどう配置されていたのか、
その詳細はまだ分かっておらず、

若宮大路幕府は、
宇都宮辻子幕府を増築・拡張させただけなのでは、とも。

もしかしたら、この時代に、小町のエリア一帯の再開発があって、
改装後の御所を、若宮大路幕府としたのかも。

「若宮大路幕府」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年8月9日 (火) 14:42
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/若宮大路幕府



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北条氏が幕府の中心になっていくにつれて、
将軍の存在は、だんだんと形式的なものになっていくんだけど、

それでも、将軍あっての鎌倉幕府。

1236年から、1333年に幕府が滅亡するまで、
この若宮大路幕府が、鎌倉幕府の将軍御所でした。

大蔵、宇都宮辻子、若宮大路、鎌倉時代の3つの御所の跡地、
現在はどこも普通の住宅地であり、石碑がポツンと建てられているのみ。

武士が築いた鎌倉のまち、この幕府の跡地については、
石碑だけがある現在の姿が、名残りとして最も相応しいんだと、私は思う。

彼らは潔く滅びたのです。


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どちらの石碑も、一般の民家のあいだにあります。
見学の際は、きわめて静かに、短時間に、通行のお邪魔をしないように。

鎌倉のステキな道を残すためにお願いします。




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