saunterer

Railtrip Landscape History

真田神社から、岡崎神社まで


PB000730



ここは、神奈川県平塚市真田にある、真田神社前バス停。
真田神社のすぐわきにあります。

鶴巻温泉駅から、鶴10系統・東海大学ゆきに乗れば、
5分ほどで真田神社前バスに到着できます。

だけど、バスの本数は毎時、1本か2本。

鶴巻温泉駅から歩いても、15分 - 20分ほどなので、
私は県道612号線に沿いながら、ここまで歩いてきました。

そして、真田神社をお参り。



PB000731



真田神社は、真田与一義忠の郎党・陶山文三の子孫が、
京都の八坂社を勧請したという。

明治の神仏分離令まで、天徳寺が神社を管理していたが、
明治5年からは、三宮比々多神社が神主を勤めている。
(境内の説明板より)





PB000732



真田義忠(佐奈田義忠)と、その郎党・陶山文三は、平安時代末期、
1180年の石橋山の戦いで討死にしています。

石橋山の戦いは、現在の小田原市根府川付近で起こった、頼朝軍と平家方との合戦で、
佐奈田義忠は、頼朝の挙兵に賛同して、父・岡崎義実とともに、その陣中に加わっていました。

頼朝軍はおよそ300、平家方は3000ほどの兵力があったとされています。
そのなか、佐奈田義忠とその郎党・陶山文三は先陣にあって、勇敢に戦ったそうです。

石橋山合戦は平家方の勝利に終わりますが、
佐奈田義忠らの犠牲もあり、頼朝は戦場から脱出することに成功し、
その2ヵ月後、約束の地・鎌倉に入ることになります。

「佐奈田義忠」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年5月3日 (日) 04:17
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/佐奈田義忠


「石橋山の戦い」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年2月29日 (月) 16:12
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/石橋山の戦い




PB000733



真田神社がある丘から、一本の坂道を下って、東へ。
すると、そこには見渡すかぎりの水田地帯が広がっていた。

大根川、善波川、鈴川、金目川など、
丹沢の山裾から流れてくる川の流れがつくった、神奈川県中央部の大平原。

そのなかを東西に貫く、一本の道を、私は歩きました。



PB000734

PB000735

PB000736

PB000737


振り返ると、西の方角(上の写真)には、
さきほどの真田神社がある、真田の丘が見え、

これから向かう正面の、東の方角(下の写真)には、岡崎の丘。
丘の南端には、岡崎神社があります。

平安末期から鎌倉時代にかけて、
真田(佐奈田)を領した佐奈田義忠と、岡崎を領した父・岡崎義実。

彼ら父子が管理した土地のそれぞれの鎮守の杜を、
この道から確認することができちゃいました。



PB000738



岡崎義実は、平安末期の三浦氏の当主・三浦義明の弟で、
大住郡岡崎郷(現在の、平塚市と伊勢原市の市境周辺)を管理していました。

義実は、相模国西部を拠点とする中村氏の女性と結婚し、
長男・義忠には佐奈田を任せ、次男・義清を中村氏一族の土屋の養子としました。

中村氏の女性と結婚し、土屋のとなりの岡崎に移住している。
そのため岡崎義実は、三浦一族のひとりというより、中村党に婿入りしたとされるのですが、

最近私が読んだ本、「三浦一族の研究」(吉川弘文館・高橋秀樹・2016年)では、
むしろ三浦氏のほうが、1150年代頃に相模中央部へ進出したのでは、という内容がありました。



PB000739



三浦氏と中村氏は、大庭御厨の事件(1144年)や、頼朝の挙兵(1180)でも、
お互い共同して活動をすることが多く、同盟的な関係にあるように思えて、

私としては、岡崎義実と佐奈田義忠は、
三浦と中村の両者をつなぐような存在、友好の象徴って感じがする。

上記の本では、三浦氏の相模中央部への進出は、三浦義明と国衙との関係や、
国衙所在地の移転などがその理由とされています。

相模川沿いの田村館や、鶴巻の和田義盛邸など、
たしかに相模中央部には、三浦氏についての史跡が多い。



PB000740



1180年に佐奈田義忠が討死し、1200年に岡崎義実が死去すると、
佐奈田義忠の子・岡崎実忠が跡を継いだんだそうです。

実忠は、佐奈田じゃなく、岡崎を名乗ったのですね。

その後、1213年に鎌倉で起こった和田合戦では、岡崎氏も中村党も、
幕府側の三浦義村ではなく、和田義盛とともに体制と戦うみちを選び、

岡崎実忠は、叔父の土屋義清(佐奈田義忠の弟)とともに討死。
相模西部の武士たちは滅びました。

和田合戦の3年後、1216年に、3代将軍・源実朝の命により、
頼朝が建てた証菩提寺で、佐奈田義忠の追善法要が行われています。



PB000741



三浦半島を本拠とする三浦氏が、平安末期になぜ相模中央部に進出したのか、
岡崎・佐奈田エリアのポイントはやはりそこ、私としても興味があります。

以前に、田村の館を訪ねたときにも考えたんだけど、足柄路・矢倉沢往還から、
大山道の田村ルートを通り、鎌倉、そして三浦へ。

そうした陸上の交通輸送ルートに関係してくるんじゃないかとか、
あるいは、相模川を下って、相模湾の各所への船舶ルートがあったのかも。

この濃くて深い謎、
今後も追い求めていくよ。



PB000742

PB000743

PB000744

PB000745






関連記事
スポンサーサイト

 神奈川の神社 鎌倉幕府 御家人 三浦氏

Comment

Add your comment

Latest