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Railtrip Landscape History

小田原城のいくつかのお堀


それはそれは、暑い一日。
相模大野の下りホームにて、快速急行・小田原ゆきを待つ。


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あらゆる町の再開発は、まず、道路建設から始まる。

小田原への移動中、今後、高架道路ができるであろう、
怪しげな橋脚の並びをいくつか見つけた。

いつか、小田急線の車窓から、
大山の姿が消えてしまう日が来るのかもしれない。

小田急に乗って西へ移動するときは、
いつもそのことを不安に思う。

そうしているうちに、小田原に到着します。


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小田原駅の西口には、小田原の戦国大名で、
後北条氏の初代、北条早雲の銅像があります。

小田原城のもともとの城主は、駿河出身の大森氏。
早雲は、大森氏から小田原城を奪いとった、とされています。

けれども、城を奪ったのか、それとも、譲り受けたのか、
実際のところは、まだ詳しく解明されていないみたい。

ここはけっこう重要なポイントですよね。
後北条氏のイメージに関わる問題だ。


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小田原駅から南へ進み、青橋へ。

青橋のちかくで説明板を見つけました。
小田原城・三の丸の、元蔵堀の跡地についてのものです。

1561年の上杉謙信、1569年の武田信玄、
小田原城は相次いで、二の丸近くまで敵軍に攻め込まれたが、

北条氏康・氏政の親子は籠城策により、侵入を防ぐことに成功した。

これらの戦いの後、後北条氏は城の拡張に乗り出し、
二の丸のさらに外側に、三の丸外郭を構築した。

この場所は、三の丸のひとつである、元蔵の曲輪を囲っていた堀の一部であり、
元蔵堀と呼ばれている。
(説明板の内容の一部)


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天守閣の建物があり、観光客が集まる城址公園は、城のほんの一部にすぎず、
戦国時代は、小田原の町全体がお城だったんですって。

城も、城下町も、すべてを堀などでぐるりと囲む防御システムのことを、
総構え (そうがまえ) と言うみたい。

明治初期においても、小田原町の境界は、総構えであった。

「小田原城」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月8日 (金) 12:54
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/小田原城



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総構えだけで、2里半 (約9km) の長さの堀・土塁が伸びていたんだそうです。
さらに三の丸とか、二の丸とかを合わせると、すごい長さになりますね。

現代の世の中では、そうした城の堀や土塁のほとんどは消滅しているんだけど、
ところどころに、かつての小田原城の遺構が残っています。


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青橋から南へ100メートルほど進んだところ。
足柄街道のわきに、草茂るスペースと斜面があります。

ここは、八幡山古郭東曲輪の一部。

城山と呼ばれる、小田原駅の西側の丘。
その頂上の、陸上競技場などがある辺りを、八幡山古郭というようです。

八幡山古郭東曲輪は、その八幡山古郭の東隣にある区画です。
この草茂る斜面を上ったところ。


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遊歩道を歩いて、まわり込むようにして、斜面を上がりました。
眼下には、足柄街道、東海道本線の線路、そして正面に、綺麗に直された天守閣。

じわじわじわと高まりつつある、後北条氏の人気と知名度。
最上階の展望台には、たくさんの登城者の姿。

城址公園の天守閣は、江戸時代における姿を復元したもの。
戦国時代の小田原城の中心は、こちらの、城山のほうにあったと考えられています。

そう言われてみると、八幡山古郭東曲輪の、この草のにおい、
戦国の兵どものにおいがするような。


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私はさらに進み、競輪場のわきの坂道を上りました。
そして、坂の途中にある、大久保神社をお参り。


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上り藤に大の字という、江戸時代の小田原藩主・大久保氏の家紋。
サボテンダーにちょっと似てる気がする。

1590年の秀吉による小田原合戦で、後北条氏が滅んだあと、
徳川家康が関東に入府。

大久保氏は家康の譜代の武将で、家康から小田原城を任されました。
大久保神社は、初代藩主・忠世と、その子孫・忠真を祀っているようです。
(説明板より)

やっぱりサボテンダーに似ている。


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最後に、こちらは城山の陸上競技場のちかく、
八幡山古郭にある、小峯の大堀切です。

空堀と土塁からなるV字谷は、残存遺構のなかでも最大規模のもの。
城中の三丘陵(八幡山・谷津・天神山)の分岐点にあり、城の要所と考えられる。
(説明板より)


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八幡山古郭東曲輪も、小峯の大堀切も、

遺構を公開するために多少の修繕をしているという以外には、
特別に手を加えるようなことは、何もされていないように思えた。

ルネサンス時代の画家が描いた、彼らの本当の絵が、
後世に上塗りをした絵の具の下に眠っていることがあるように、

それぞれの町の、ありし日の姿も、建物や舗装道路や橋脚や、
そうしたものの、どこか下のほうに、いまもグッスリと眠っているのかも。

歴史の境界線と、わりかし近いところにて。


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