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Railtrip Landscape History

報国寺と、字宅間

浄妙寺をお参りしたあと、滑川を渡って南へ。
報国寺を訪ねました。


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竹、高いです。

竹林で有名になっている報国寺、たくさんの訪問者の姿。
とても元気で賑やかな境内には、それぞれの過ごし方があった。

竹林のなかを一周し、ベンチに腰をかけて石庭を眺めていると、
境内の奥の、山肌のなかに、やぐらが3つ開いているのに気がつきました。

やぐらのなかにある塔群は、お寺の公式サイトで紹介されている、
足利一族の墓や、北条氏・新田氏両軍の戦死者の供養塔、なのかな(?)


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報国寺も、浄妙寺と同じく、足利氏のお寺です。
開基は、足利尊氏のお爺さん、足利家時 (1260 - 1284) となっています。

しかし、お寺の創建は、1334年なので、
実際に建立したのは、上杉重兼であるともされています。

上杉重兼は、足利尊氏のお母さん・清子さんの甥に当たる人物で、
鎌倉時代から足利氏に仕えて重んじられた、上杉氏の出身です。


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報国寺の境内を出て、滑川に沿って東のほうへ。
浄明寺エリアの、住宅のあいだの路地道を歩きました。

お寺の名前は、浄寺なのに、
どうして住所やバス停は、浄寺なんだろう?

常用漢字てきな問題なのかな、って思ったんだけど、
「 妙 」 は常用漢字に含まれてるんですよね。

最初に住所を決めるときに、誰か偉い人が、
漢字をミスって登録しちゃったのかな。


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そして、足利公方邸の跡地に来ました。

足利公方 (鎌倉公方) は、室町時代に、関東を統治するため、
室町幕府が設置した出先機関である、鎌倉府の長官です。

もともと関東を支配していた鎌倉幕府と北条氏は滅んだので (1333年)、
京都の室町幕府は、空白となった関東を、鎌倉公方に任せました (1349年)。

初代の鎌倉公方は、足利尊氏の四男(正室の次男)である、足利基氏。
室町時代における、関東版の征夷大将軍みたいなもの、なのかな。

実際に、鎌倉公方は、上洛して幕府の将軍になろうと野心をもち、
鎌倉を追放されることに (1455年)。


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鎌倉公方邸の跡地があるエリアは、字 「 御所内 」 というんですね。
公方邸となる以前、鎌倉幕府の御家人・足利氏の邸宅も、どうやらこの辺りみたい。

報国寺があるエリアは、字 「 宅間 」。
そのひとつ西隣は、字 「 犬懸 (いぬがけ) 」。

お寺の公式サイトによると、報国寺がある谷戸は、宅間谷戸といい、
もともとは (鎌倉時代から?)、宅磨派という絵仏師が住んでいたそうです。

鎌倉幕府の滅亡後は、宅間、犬懸、どちらにも上杉一族の邸宅があり、
それぞれ、宅間上杉氏、犬懸上杉氏、と称しました。

報国寺を創建した上杉重兼は、その宅間上杉氏の初代です。

「宅間上杉家」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年3月19日 (土) 08:19
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/宅間上杉家



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