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Freundschaft 155


横浜開港資料館に行ってきました。


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「 幕末・明治のプロイセンと日本・横浜 」

日本と、ドイツの前身のひとつであるプロイセン王国とが、
日普修好通商条約 (日本プロイセン修好通商条約) を結んだのが、1861年1月24日。

それから150周年 (2011年) となったことを記念して、
日本とドイツの歴史を紹介する企画展が、各地を巡回して開催されているんです。



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1860年に江戸に来た、
プロイセンの外交使節・オイレンブルクは、

ドイツのほかの地方国家 (諸邦) からも全権を委任されていて、幕府に対して、
プロイセンだけでなく、他のドイツ諸邦とも条約を結ぶよう要求したんだそうです。

ドイツって、なんとなく、プロイセンの進化形なのかなって思っちゃうけど、
この当時のドイツには、大小30以上の諸邦が存在していたんですって。

諸邦のあまりの多さに、幕府は困惑して、
結局、プロイセンとだけ条約を締結することとした。(wiki 日独関係より)



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プロイセンに、ザクセン、ハノーファー、バイエルン .......... 。
たしかに、当時のドイツの地図を見るとたくさん国名があって、複雑すぎます。

でも、日本だって、
江戸幕府を中心としつつも、各地に諸藩があって一定の独立性をもっていたし、
戦国時代の大名は、室町幕府の支配から独立して領国経営をしていたように思える。

ドイツと日本、勤勉な国民性が似ているといわれるけど、
ほかにいろいろと比較してみるのも、おもしろそう。



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ところで、サッカー好きの私としては、プロイセンという言葉から、
香川真司選手が所属する、「 ボルシア・ドルトムント 」 というサッカーチームが連想されます。

ドルトムントは、ドイツ西部のノルトライン=ヴェストファーレン州にある都市名なのですが、
「 ボルシア 」 は、ラテン語でプロイセンの意味なんだそうですよ。

ボルシア・ドルトムント、ボルシア・メンヒェングラートバッハ、というチーム名から、
プロイセンのことが、ちょっとだけ身近に感じられるような気が、しないでもない。

1860年ころのプロイセン王国の領域でいうと、ほかに、
ヘルタ・ベルリン (原口元気)、1.FCケルン (大迫勇也)、シャルケ04 (内田篤人) なんかも、
プロイセン領内の都市をホームタウンとするチームになるみたい。



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この横浜の開港資料館では、
日普修好通商条約を結ぶまでの両国の流れや、ドイツ商人たちの横浜での活動を、
資料や、書状、写真などによって紹介していました。

日本とドイツは、明治以降、医学や軍事の面で、深い関係を築くことになりますが、
この横浜の開催では、開港のまちということもあって、
幕末の、日本とドイツの出会いについて、とくに取り上げています。

ドイツに興味があるかたは、ぜひです。

(横浜開港資料館の公式サイト 4/10までの開催)
http://www.kaikou.city.yokohama.jp/index.htm



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1858 米・英・仏・露・蘭と修好通商条約を結ぶ
1859 横浜港が開港
1860 桜田門外の変
1861 ヴィルヘルム1世がプロイセン国王に即位
1861 日普修好通商条約を締結
1862 ビスマルクがプロイセン首相に任命される
1862 初代駐日領事のマックス・フォン・ブラントが横浜に着任
1864 馬関戦争 (プロイセンは加わらず)
1866 根岸の横浜競馬場がオープン
1866 普墺戦争
1867 北ドイツ連邦が成立
1867 山手に外国人居留地が設置される
1867 大政奉還
1869 箱館戦争が終結
1870 普仏戦争
1871 ドイツ帝国が成立
1871 廃藩置県





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