saunterer

Railtrip Landscape History

文庫から、泥亀のあたり


PB000339

PB000340


金沢文庫の展示を見学したあと、称名寺をお参り。
寺前の道を歩いて、洲崎のほうへ向かいました。

そして、イオンの近く、国道16号沿いにて。
下の写真は、泥亀新田開発の遺跡のひとつ、姫小島水門です。


PB000341


金沢八景から金沢文庫にかけての土地は、もともと内海だったんだけど、
1668年に、永島祐伯という幕府の人物が、海を埋立てて、新田開発をスタートさせました。

洪水や災害、また財政難により、工事はいくども頓挫しますが、
およそ180年後、1849年に新田開発は完了。

完成した新田(下の地図の、みどりの部分)は、
泥亀新田(でいき)と呼ばれました。


PB000338


この水門は、海水が新田開発地に入りこむのを防ぐために設けられたもの。
江戸時代の現役当時は、水門は2門あったようです。

1960年代の再開発事業のときに、水門は撤去されましたが、
その後、もともとの素材を利用しつつ、現役時代のこの地に復元されました。

かつての泥亀新田をいまに感じさせる、
シンボル的なモニュメントですね。





泥亀新田の構造を、海の側から見ていくと、
まず、六浦の海と、金沢の内海(新田側)の境界には、瀬戸橋がありました。

瀬戸橋は、金沢北条氏の3代目、金沢貞顕によって、
鎌倉時代の後期、1305年に建設されたのが最初のようです。

「金沢区」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年5月14日 (土) 06:06 UTC、
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/金沢区



PB000342


そして、瀬戸橋の内側(中側)には、姫小島という小さな島があって、
姫小島の両サイドに、例の水門を設けて、汐除堤を築いていたようです。


PB000343

PB000344


水門を撤去した、1960年代の、横浜市による再開発事業のとき、
水門だけでなく、姫小島も消滅してしまったみたい。
(姫小島水門の説明板より)

1960年 八景団地造成事業 (1968年、京急サニーマートが開業)
1964年 国道16号の泥亀バイパスを建設

「京急サニーマート」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年4月28日 (木) 08:10 UTC、
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/京急サニーマート



PB000345


イオンのわきから、宮川の上流を眺める。
おそらく、泥亀新田の中心地は、この辺りだったんだと思う。


PB000346


泥亀新田は、1930年代ころから、
段階的に再開発され、埋立されていったようです。

上の写真の、川の右側は、京急サニーマートや公務員団地があるところ。
こっちは、1960年代に再開発がされ、

川の左側は、1930年代の埋め立て。
現在は、パークシティ金沢八景、イオン金沢八景があります。


PB000347


そして最後に、永島家歴代の墓地がある、
龍華寺をお参りしました。

私は、開発された新田の全域が、泥亀新田なんだと思っていたんだけど、
金沢文庫の企画展示の古地図を見ていると、どうやらそうではないらしい(?)

赤井新田、寺前新田、泥亀新田、などなど、
新田の開発エリアごとに、それぞれ名称が付けられていたみたい。

もっとも中心的なエリアは、「 入江新田 」 という名称になってました。
「 泥亀新田 」 は、それらの総称なのかな(?)

それに、古地図上のそれぞれの新田エリアが、
現在において、どの場所に該当するんだろうか、とか、

まだまだ、私にとって謎が多い泥亀新田。
また金沢を散策して、ちょっとずつ解明していく予定です。


PB000348





関連記事
スポンサーサイト

 神奈川のお寺 新田開発

Comment

Add your comment

Latest