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Railtrip Landscape History

寿福寺 Springtime in Kamakura


鎌倉 扇ヶ谷の、寿福寺を訪ねました。


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まぶしい緑の参道。
古刹の境内に差し込む、若々しい輝き。

新しい葉っぱって、触るとフワフワっとしてるんですよね。
とくに、イヌツゲのフワフワ感は気持ち良すぎる。

寿福寺は、本堂まわりは立入禁止になっています。
なので、この数十メートルの参道を往復して、空間を楽しむ。


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北条政子によって建立された、寿福寺。
源頼朝が死去した翌年、1200年に、栄西 (臨済宗の祖) を招いての開山でした。

もともとは、源義朝 (頼朝の父) の館があり、義朝が死去 (1160年) したあとは、
その菩提を弔うため、岡崎義実 (三浦氏) が、お堂を建てていたそうです。

そのため、1180年に伊豆で挙兵し、鎌倉に入った頼朝は、
ここに館を構える計画を変更して、大蔵 (八幡宮の東) に邸宅を構えた。
(説明板より)


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河内源氏が、鎌倉に邸宅 (御所) を持つようになったのは、
頼朝の5代前の先祖にあたる、源頼義のとき、と考えられているようです。

源頼義は、父・源頼信とともに、房総で起こった平忠常の乱 (1028 - 1031) を平定したあと、
平直方から、鎌倉の邸宅やその所領などを譲り受けた。

「源頼義」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年5月9日 (月) 02:21
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/源頼義



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平直方は、京で摂関家に仕え、検非違使を努めていた人物で、
平忠常の乱の追討にあたっては、まず、直方が追討使に任じられていました。

公卿たちからは、源頼信が追討使の最有力候補として推せられるなかで、
関白・藤原頼通の推挙によるものでした。

乱を起こした平忠常と、追討使の平直方は、ともに、
898年に関東に下った高望王の子孫であり、おなじ坂東平氏という間柄にあったのですが、

平直方が、高望王の長男・国香を祖とする、国香流 (貞盛流) なのに対し、
平忠常は、高望王の五男・良文を祖とする、良文流。

忠常と直方は、常陸や房総 (茨城県・千葉県) をめぐるライバル関係にあり、
同族であるがゆえに譲るわけにはいかず、互いに本気モードの戦いに。

戦乱の長期化により土地が荒廃し、徴税が停滞するようになると、
業を煮やした朝廷は、平直方をあきらめて、都に召還。

代わって、源頼信を追討使に任じる。

「平忠常の乱」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年10月30日 (金) 05:47
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/平忠常の乱



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源頼信は、息子の源頼義とともに京を発ち、関東の直前、甲斐国に滞在します。
すると、源頼信のもとに、乱の張本人である平忠常が登場 (!)

忠常は、頼信に降伏を申し入れます。

実は、この乱が起きる十数年前、
当時は常陸介であった源頼信は、平忠常と主従関係を結んでいたようで、

平忠常は、信頼に足る主人・源頼信の登場に安心し、
みずからの首とひきかえに、子供たちの助命と一族の存続を願い出る。

優秀な調停者である源頼信は、平忠常の望みを見事に実現させ、
戦うこともなく (あっけなく)、乱は平定となりました。

罪を許された忠常の子孫 (千葉氏・上総氏) は、およそ150年後、
源頼信の子孫である源頼朝に仕え、鎌倉幕府の成立に貢献することに。


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乱の鎮圧に失敗した平直方は、源頼義の武勇に感じ入り、
自らの娘を頼義に嫁がせて、さらに鎌倉の大蔵にあった邸宅や所領などを譲り渡した。

「源頼義」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年5月9日 (月) 02:21
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/源頼義


頼義は、乱平定の功績により、小一条院敦明親王に仕え、1036年には相模守に就任。
三崎庄・波多野庄を成立させています。

忠常の自首により乱は鎮圧されたので、
平直方が、いつの間に頼義の武勇に感じ入ったのか疑問なんだけど、

乱後の展開を考えると、平直方が感じ入っていようがいまいが、
鎌倉の邸宅が頼義の手に入るのは必然、って感じがしますね。

平直方も、源頼義の父・頼信も、藤原頼通の家人だったので、
直方の娘と頼義の婚姻は、藤原頼通の仲介によるもの、とも考えられているようです。


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寿福寺の境内を出て、横須賀線沿いのみちを南へ。
巽神社に来ました。

説明板によると、坂上田村麻呂が勧請した神社で、
永承四年 (1049年) に、源頼義が社殿を改築した、となっていました。

この地に遷座した年代は不詳ですが、
寿福寺の巽の方角 (南東) にあり、鎮守神とされたそうです。






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 鎌倉幕府 神奈川のお寺 御家人 頼朝 源義朝

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