Ce n'est rien.

Railtrip Landscape ProsePoetry

広瀬川の河畔を歩むなり



ふとしも家を出でしが 行くべき方にそむきて
あはれまた、廣瀬川河畔を歩むなりけり。

萩原朔太郎 「初冬」より抜粋 習作集第9巻 萩原朔太郎全集第2巻 筑摩書房



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そうして、詩人の萩原朔太郎が逍遥したという広瀬川の河畔を、
文学館の前から、上毛電鉄の中央前橋駅まで歩きました。

広瀬川は、利根川から取水し、前橋のまちを流れる、かつての灌漑用水。
私の地元の二ヶ領用水よりも、川幅ひろく、流れは速く、色は濃い。


廣瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(ライフ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちひさき魚は眼にもとまらず。

萩原朔太郎 「廣瀬川」 郷土望景詩 『純情小曲集』



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前橋文学館では、3 - 4時間の刻を過ごしたけど、
予め用意してきた直感の深奥まで到達することはできなかった。

あくまで、自分の心と照らし合わせてのことではあるが、
私が萩原朔太郎の詩にどこか共感を覚える原因のひとつは、

もしかすると、『純情小曲集』 跋 萩原恭次郎(第一稿)において
語られているところなのかもしれない。

あなたの孤独は、いづこに基因するか?……
……、私に強く印されるものは、近代化激変の前橋である。
そこに生活のCALENDARがめくられて行った私達にとって、
必然!生ずる文字は歌ふでなく、語るでなく、刻るである。
芸術としては、余りに固く、余りに怒りの分子の重量は、当然である。
地方居住者の身のさいたる、やり場のない文句であるから。

『純情小曲集』 跋 萩原恭次郎(第一稿) 萩原朔太郎全集第2巻 筑摩書房



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前橋と桐生を結ぶ上毛電鉄が開業したのは、1928年(昭和3年)。

その頃、萩原朔太郎は東京の馬込に住んでいましたが、
1929年に妻と離別し、さらに1930年に、父が前橋で死去。

はやも昼餉になりぬれど ひとり木立にかくれつつ
母もにくしや 父もにくしやとこそ唄ふなる。

萩原朔太郎 「春の来る頃」より抜粋 滞郷哀語篇 習作集第9巻 萩原朔太郎全集第2巻 筑摩書房

かくてもこの故郷に育ちて
ちちははの慈愛恋しやと歌ふなり。

萩原朔太郎 「秋日行語」より抜粋 習作集第9巻 萩原朔太郎全集第2巻 筑摩書房

父が前橋に開業した医院を、
長男ながら継承できなかった朔太郎(1919年)。

それでも38歳で上京するまで(1925年)、
父と同居し、詩を書いていた。

親からの愛情、その表裏としてある、親からの支配。

彼は、外からは伺うことができないようなところで、
おそらくは両親も気付かないようなところで、

家庭における大きな宿命を背負わされていたのではないか、
そう勝手に想像し、自己を投影してしまう。

我はもとより家畜なり 奴隷なり
悲しき忍従に耐へむより
はや君の鞭の手をあげ殺せかし。
打ち殺せかし!打ち殺せかし!

萩原朔太郎 「殺せかし!殺せかし!」より抜粋 『氷島』



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明治維新、時代の変革、近代化により分化する人々。
価値観が乖離し、変容する親と子の関係。

現実が欠乏し、欲望が空虚を生み、生活を喪失する。
100年前と現在との違いは、それほど多くはない。

物みなは歳日と共に亡び行く ――。
ひとり来りてさまよへば
流れも速き廣瀬川
何にせかれて止むべき。
―― 廣瀬河畔を逍遥しつつ ――

藝苑 「物みなは歳日と共に亡び行く」より抜粋 萩原朔太郎全集第2巻 筑摩書房



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