TAKE YOU FOR A WALK

When The Setting Sun

前橋、萩原朔太郎の生家跡


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私の地元・川崎から、高崎線直通の電車に乗って、
およそ2時間半、群馬の県都、前橋です。

萩原朔太郎の詩をよみ、よんどころない共感を覚えて以来、
いつか訪ねてみたかった、思慕のまち。

この日の上州の風は、軟弱な私にはとても冷たく、
あったかタイツを穿いてこなかったことを、早速後悔させられた。



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萩原朔太郎が前橋に生まれたのは、1886年(明治19年)。

その頃の前橋は、「糸のまち」として養蚕業で栄え、
近代化が進められていたようです。

前橋駅の北口には、かつて繭や生糸を保管していたという、
1896年竣工の、上毛倉庫の2棟のレンガ倉庫が佇む。

さらに、町のいたるところで、蔵の姿があるのを見かけました。
それらもまた、養蚕の繁栄の名残りなのであろう。



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そして私は、前橋駅から北へ歩いて10分ほどのところにある、
萩原朔太郎の生家跡地へ。

前橋で開業医を営む、萩原家の長男として、
1886年(明治19)に生まれた朔太郎は、

生誕から、20代の頃の放浪期間(1906-1913)をはさみ、
1919年(大正8・33歳)まで、この地に建つ家で過ごした。

跡地に立てられている石碑は、当時の門柱の実物らしい。



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放浪から帰郷した朔太郎は、家の裏庭にあった味噌蔵を改造し、
1914年から5年10ヶ月のあいだ、自身の書斎にしたそうです。

第一詩集『月に吠える』(1917年)、第二詩集『青猫』(1923年)、
収録された作品の多くは、その書斎において作られたんだとか。

当時の萩原家の建物は、その書斎と、離れ座敷、土蔵が移築現存しており、
萩原朔太郎記念館で見学することができます。



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日かげ男の悲しさに
ひろき我が家もなにかせん
のらりくらりと縁ばたに
煙草を吸へど春の日は
しづこころなく暮れもせず
日かげ男のためいきに
ちうまえんだの花が咲く

萩原朔太郎 「ひかげおとこ」より抜粋 習作集第8巻 萩原朔太郎全集第2巻(筑摩書房)


手にて髪の毛をかきむしり
眼はひととこをみつめたり
薄闇の部室に坐るは我ひとり
我ただ一人 ・・・・・・

萩原朔太郎 無題 習作集第8巻 萩原朔太郎全集第2巻(筑摩書房)



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大阪出身で西洋医学の開業医だった父と、
旧前橋藩の士族の娘だった母とのあいだに生まれた朔太郎。

彼の詩の根底にある、孤独や、さびしさ、むなしさ、疎外感、
その由来は、生家や両親との関係にあるのではと、私は考えていましたが、

この旅では、それに触れることはできませんでした。

現在、生家跡地の一帯は、国道17号(停車場線)に面してマンションが建ち、
残りの部分は、駐車場になっています。



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1886(明治19)11/1  萩原朔太郎、前橋に生まれる
1889(明治22)  両毛鉄道(現在の両毛線)の前橋駅が開業
1892(明治25)  前橋町が市制施行して前橋市となる
1892 - 1896  従兄の栄次が萩原家に滞在
1896(明治29)  上毛倉庫のレンガ倉庫が竣工
1900(明治33)  朔太郎、前橋中学校に入学
1906 - 1913  中学卒業後、熊本・岡山・東京などを放浪
1913(大正2)  前橋に帰郷
『ソライロノハナ』を製作
『朱欒』に詩が掲載され、詩壇デビュー
室生犀星との交友が始まる
1914(大正3)  裏庭に書斎が完成
1916(大正5)  鎌倉坂ノ下の海月楼で『月に吠える』の編集
1917(大正6)  『月に吠える』刊行(30歳)
1919(大正8)  上田稲子と結婚(32歳)
父が医者を辞め、前橋の他所に転居








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