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Railtrip Landscape History

法金剛院、待賢門院璋子


JR山陰本線に乗って、花園駅に来ました。


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花園駅は、京都駅から北西に走る山陰本線の4つ目の駅で、
太秦や嵐山よりも、ひとつ手前 (東側) に位置しています。

特定都区市内 (新幹線きっぷの京都市内) に含まれているので、
私は新幹線を下りたあと、そのまま在来線乗換改札を通って、山陰本線221系に乗りました。

そして、駅前に輝く、眩しいピンクの花のお出迎えを受けたわけです。
嬉しい演出です、まさに花園 (さすが!) って感動した。

その余韻をもったまま、私は、駅前にあるお寺を訪ねてみました。
こちら、法金剛院さんです。


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拝観料は、大人ひとり、500円。
(2016年4月時点)

池泉廻遊式の浄土庭園をもつ法金剛院、
花のお寺として知られているようです。

先週くらいまで桜が満開でしたよ、と少しお話。

私が訪ねたこのとき、境内に佇ずむいくつかの大きな枝垂桜は、
だいぶ花を散らせていた、けど、それでもチラホラと。


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受付で頂いた、お寺のパンフレットによると、
法金剛院の枝垂桜は、「 待賢門院桜 」 という愛称をもつようです。

法金剛院は、もともと、平安初期の右大臣・清原夏野 (782 - 837) の山荘で、
夏野の死後に、山荘を寺とし、双丘寺 (そうきゅうじ) を建立しました。

それが、1130年に、待賢門院璋子 (たいけんもんいん たまこ) によって復興され、
法金剛院と改められた。

中央に池をもつ浄土庭園は、待賢門院のときに築庭されたもので、
1970年の発掘調査により復元したそうです。
(京都市の説明板より)


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池の北側には、待賢門院の発願によって造成されたという、
滝があります。

林賢・静意の作、「 青女の滝 」。
日本最古の人工の滝、なんですって。
(説明板より)


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待賢門院にとって、1130年の法金剛院の復興は、
1129年に崩御した養父・白河法皇の追善と、自身の将来を考えてのこと、だったようです。

「覚性入道親王」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年9月6日 (日) 01:14
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/覚性入道親王


鳥羽天皇の中宮であった待賢門院は、
白河法皇 (鳥羽の祖父) に幼いころから養育され、また愛された存在だったようです。

しかし、白河法皇が崩御し、治天の君となった鳥羽院は、美福門院得子を寵愛したため、
待賢門院の立場は難しいものとなります。

そして、1141年 崇徳天皇 (鳥羽と待賢門院の皇子) が譲位し、
近衛天皇 (鳥羽と美福門院の皇子) が即位すると、

1142年 待賢門院は、法金剛院において落飾 (出家)、晩年を法金剛院で過ごし、
1145年 兄・藤原実行の三条高倉邸において崩御。(享年45)

「藤原璋子」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年2月14日 (日) 02:18
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/藤原璋子



下の写真の、中央に見えるプレートは、三条西殿の説明板。
烏丸三条の交差点、烏丸ビルの1階、スタバの前にあります。

三条西殿は、白河法皇、鳥羽院、待賢門院の御所となった、院政時代の政治の中心地で、
その跡地は、烏丸 (東)、姉小路 (北)、室町 (西)、三条 (南) に囲まれたエリアになります。
(説明板より)


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続いて、下の写真は、待賢門院が崩御された、高倉宮址 (三条高倉邸) の碑。
烏丸御池の南東、東洞院通と姉小路通の交差点近くにあります。


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白河法皇と鳥羽院、待賢門院と美福門院、
いかにもな男女の恋愛関係のもつれのように思えるけど、

実際には、皇族と藤原氏の、複雑な政治的関係があり、権力闘争があって、
もっともそのなかに、恋愛感情も多分に含まれていたんだろうけど。

崇徳(待賢門院)と、近衛(美福門院)を中心とした、皇位、院政のための父権争い、
そこに藤原摂関家の対立が絡み、いよいよ頂点に達したところで、

保元の乱 (1156年) が起こり、平清盛や源義朝などの武士が動員されて、
はじめて武力による政治解決がなされることになります。

(関連記事)
東三条殿、高松殿
熱田神宮と、源頼朝の出生地


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なかゝらむ 心もしらす 黒髪の 乱てけさは 物をこそおもへ

という、百人一首の歌は、
待賢門院に出仕した、堀河という女性が詠んだものなんだそうです。

尋ぬとも 風のつてにも きかじかし 花と散りにし 君が行方を   西行
かへし
吹く風の 行方しらする ものならば 花とちるにも おくれざらまし   堀河

絶世の美貌をもつ待賢門院に恋慕していた西行は、待賢門院の死後、
あの方はどこに行ってしまったのか、と訪ね、
それがわかるなら私もついて行った、と堀河が返した。

また、待賢門院なき法金剛院を訪ね、堀河は、
君こふる なけきのしけき 山里は たゝ日くらしそ ともに鳴ける   堀河

「待賢門院堀河」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年2月7日 (土) 11:47
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/待賢門院堀河



古文の授業は苦手だったし、百人一首大会は大嫌いだった、中学生のころの私。
いま、この散策をきっかけに、楽しめるようになれるかも、と思う。


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 京都のお寺 待賢門院

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