Ce n'est rien.

Railtrip Landscape History

東三条殿、高松殿


堀川御池の交差点にきました。


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堀川御池の北西すぐのところには、二条城があるものの、
京都のオフィス街ですね、このあたりは、完全に。

私は、この堀川御池から、御池通に沿って東へ、烏丸御池まで、
かつての、平安貴族たちの御殿・邸宅めぐりをしてみました。





当然なのですが、御殿・邸宅は、現在はもうありません。
なので正しく言うと、御殿・邸宅の 「 跡碑 」 めぐりです。

跡碑めぐりは、観光や、まち歩きというより、
かなり事務的な作業なのですよ。

ただひたすら、石碑と説明板の写真を撮る、歩いて、探して、撮る。
そして、家に帰ってから、ネットや本の情報と照らし合わせたりして、楽しむ。

その時間、旅をしている気はあまりしないんだけど、でも、
こういうのもやっておく必要があります、京都だからこそあえてやっておきたい。

まずこちらは、東三条院址の碑。
押小路通と、釜座通との交差点にあります。


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東三条院 (東三条殿) は、
平安時代に隆盛を極めた、藤原氏の邸です。

平安初期に、重明親王 (醍醐天皇の皇子) の邸が、藤原良房に譲られ、
藤原氏出身の皇妃・母后が居住する慣わしとなり、その後、藤原道長に引き継がれました。

邸は、二条通(北)、御池通(南)、新町通(東)、西洞院通(西) に囲まれた、
東西約130メートル、南北280メートルの細長いエリアにありました。
(京都市の説明板より)


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碑が立つ姿を、ちょっと遠めに見て、そのポツンと感を味わう。

平安貴族、藤原摂関家の優美で艶やかな生活、その記憶は、
現代の京都のまちの、この一本の石碑に封じ込まれています。

FF10でいうところの、スフィアみたいなものなのです。

下の地図のマークが、東三条院址の碑がある場所です。
この交差点を中心にした、周辺4つのブロックが、東三条院の敷地。





東三条殿は、藤原道長、頼通、師実、師通、忠実と、
代々の藤原長者の所有となり、藤原摂関家の儀式の場として用いられた。

忠実のあと、東三条殿の所有権は、嫡男の忠通に譲られますが、
摂関家の家督継承や入内問題をめぐって、忠通と、その弟の頼長とが対立。

弟の頼長を可愛がる父・忠実は、嫡男・忠通を勘当し、
源為義 (頼朝の祖父) ら武士を動員して、東三条殿を没収し、これを頼長に与えた。

摂関家の内部対立と同時に、皇位継承をめぐる政治的対立が深まるなか、
1156年、鳥羽院が崩御すると、

後白河天皇方の源義朝 (頼朝の父) らの軍勢が、東三条殿に入り、邸を接収。
これをきっかけに、後白河天皇・忠通側と、崇徳上皇・頼長側による、保元の乱が勃発した。

「東三条殿」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2015年12月23日 (水) 17:02
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/東三条殿



続いて、私は、御池通を渡って、南へ。
姉小路通にある、高松神明社を訪ねました。



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神社の周辺では、染物のお店を多く見かけましたよ。

メインストリートである御池通をひとつでも外れると、
高いビルから、低い建物へ、町の空気がかなり変わるように感じた。

そして、お参り。

手水舎には、水琴窟が備えられてました。
カラン、コロンと、澄んだ音色が聞こえてくる。

こちらの高松神明社、
鳥居のわきには、高松殿址の碑があります。


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高松殿は、醍醐天皇の皇子である、
左大臣・源高明 (たかあきら 914 -981 ) の邸宅。

高明の娘・明子は、藤原氏の東三条殿で養われ、
のちに高松殿で藤原道長と結婚し、高松殿と称された。

小一条院敦明親王 (あつあきら。明子の娘・寛子と結婚) の御所ともなったが、その後、焼失。
1146年、鳥羽上皇の命により新たな御殿が造営された。

1155年には、後白河天皇 (鳥羽の皇子) が当所で即位し、
1157年まで、高松内裏とも称された。

1156年に起こった保元の乱では、高松殿は、後白河天皇の本拠地となり、
源義朝や平清盛らの軍勢がここに集まり、崇徳上皇のいる白河北殿に攻め込んだ。
(京都市の説明板、神社の説明板より)


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神奈川県に住み、鎌倉幕府に興味をもっている私は、
関東の武士たちや、将軍となった源頼朝、その父である義朝について調べていくうちに、
京都で起こった、保元の乱 (1156年)、平治の乱 (1160年)に辿りつきました。

今回の京都の旅では、それら戦乱の舞台となった場所や、
関係人物ゆかりの場所のいくつかを訪ねてみました。

東三条殿、高松殿は、保元の乱の戦端が開かれた場所で、
後白河天皇方として参加した義朝軍には、多くの関東武士の名があります。
(→ ウィキペディア 「保元の乱」 に、その一覧がある。)

関東の歴史を楽しむためには、関東を歩くだけではなく、
京都のことも理解するべきだと思って、京都初心者の私は、ちょっとずつ勉強中。

お参りのあと、神社の近くにすてきなデリのお店を見つけたのも、
大きな収穫です。





高松神明社の境内には、真田信繁 (幸村) の念持仏だという、
神明地蔵尊もお祀りされていましたよ。

幸村ファンの人も、ぜひ訪ねてみてください。


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 頼朝 鎌倉幕府 後白河 源義朝 平清盛 真田幸村

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