Ce n'est rien.

poesy from hasard objectif

クレエゲル


PB001978


PB001979


PB001980


PB001981


PB001982


PB001983


PB001984



先日の、スカパーのニュースザップ(12/15)。

「前近代と、後期近代の、
どっちか判断つかないようなところにいるのが日本」

という、批評家の大澤聡さんの発言は、
私がこの数年考えていたことに、なんとなくだけど響くものがあった。

以下は、それを受けた私の考えで、

とても現代的な人間がいるかと思えば、すごく封建的な人間がいたり、
生活は利己主義の消費型、でも、性格は家父長制の主従型だったり。

おそらく個人のなかで、その配分や度合いには違いがあり、さらには、
地域によって、町によって、家庭によっても、それは異なる。

自分の家庭は、前近代的(封建的)なのか、それとも後期近代的なのか。
父親が封建型なのに、母親が後期近代型なんて場合もありうる。

二人のあいだの子供は、どうして両親を愛するバランスをとることができるのか。
ちょっとした『トニオ・クレエゲル(トーマス・マン)』みたいな。

郊外の町を歩いていると、ときどき考えることがある。
突如押しよせる大開発の波に、住民の精神はどう対応していくんだろう。

明治以来、すべての輸入した西洋思潮は、
青年のエキゾチシズムとダンヂイズムとを満足さすほか、
少しも根を持たない浮草の流行に過ぎなかった。
流行の熱が醒めれば、人々は何時の間にか、
再度また元の伝統的国粋思潮に帰って行く。
(萩原朔太郎「日本の囘顧」『絶望の逃走』)


私が、萩原朔太郎や、夏目漱石を読むのは、
そこに、未来のための何かヒントを見つけたいからなのかも。

そして、私たちが見失ってしまった何か大切なものも、
前近代と、後期近代のあいだの、どこかにあったはず。




関連記事
スポンサーサイト

 

Comment

Add your comment

Latest