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Railtrip Landscape History

大宰府政庁跡



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古代において、諸外国との玄関口だった、
博多の那の津。

その博多湾から、15キロあまり内陸にある、ここ太宰府は、
外交と防衛、さらに九州の行政を統括する、大宰府政庁が置かれていた。

写真の石碑は、大宰府の中核たる政庁にあって、
長官が政務を取り、儀式儀礼などが行われた、正殿の跡を示すもの。





私は、太宰府天満宮を参拝したあと、
御笠川を渡って西へ歩き、大宰府政庁の跡地へとやって来ました。

7世紀後半の飛鳥時代に、大和朝廷によって造営された、大宰府。
「おほ みこともち の つかさ」と読むらしい。

平城京や平安京と同じく、条坊制の敷かれた都市で、
それはまさに西の都だった。



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現在の太宰府観光は、天満宮に人気が集まっていますが、
天満宮はあくまで菅原道真のお墓。

菅原道真は、大宰府に左遷され、そのまま亡くなったのだから、
本来的には、太宰府といえば、大宰府政庁および条坊のことなのです。

なので私は、天満宮と政庁跡の見学を、太宰府の旅のメインにすえ、
この日のすべてを費やして散歩してみました。

ちなみに、「宰府」と「宰府」の表記の違いは、
歴史用語では「大宰府」、現在の市名や天満宮は「太宰府」なんそうです。



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緑の絨毯の広がりとともに、平石が規則正しく点々と並ぶ。
これぞおなじみ、私の大好きな古代遺跡の風景。

太宰府の大宰府政庁跡、奈良の平城京跡、海老名の国分寺跡、
土地は違えど、おなじ時代の、おなじ風景がある。

いずれも観光地化はされてなく、資料館と説明板がいくつかあるのみ。
それ以外には何もない、何もないから素晴らしい。

空想できて、瞑想できて、無にもなれる。
地元の人々の憩いの場として開放されているのも、また素晴らしい。



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政庁跡の背後に控えるは、大野山。

白村江の戦い(663年)のあと、山上に大野城が築かれ、
大宰府のまわりを要塞化する羅城のひとつになったという。

西鉄の都府楼前駅から、五条駅のあいだのエリアには、
政庁跡のほかにも、たくさんの古代遺跡があります。

私は、この日のお昼から夕暮れまで時間をかけたけど、
すべてを周ることはできませんでした。

ちょっとずつ、時間をかけて、季節をかえて、
ちょっとずつ、また大宰府にゆこう。



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6世紀・7世紀前半 「那津官家」「筑紫大宰」の存在
663 白村江の戦い
664 水城の建設、防人の配備
665 大野城、基肄城を築く
7世紀後半 初期の政庁建物が建設される
701 大宝律令により、大宰府が政治機関として確立
8世紀初頭 政庁が、朝堂院形式の建物に改築される
710 平城京に遷都
728 大伴旅人、大宰帥として赴任(初見)
740 藤原広嗣の乱、大宰府はいったん廃止(745 復活)
741 国分寺建立の詔
901 菅原道真、大宰府に左遷(903 死去)
941 藤原純友の乱、大宰府炎上
10世紀半ば 政庁の拡大整備

大宰府の力はしだいに弱まり、平安末期から田畑と化していく。
(説明板より)



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