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Railtrip Landscape History

箱根湯本駅から、早雲寺


箱根登山鉄道に直通する小田急線に乗って、箱根湯本駅に来ました。


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アーチ状の屋根と外壁のデザインをもつ、箱根湯本駅。
箱根駅伝の中継でもおなじみです。

小田原からの列車は、ここで、強羅ゆきへの乗り換えになります。
強羅ゆきの車内は、なかなかの混雑ぶりでしたよ。

外国人旅行者も多かったけど、
この日は、大学生くらいの女子旅のグループがとくに多かったかな。



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私は湯本駅の改札を出て、駅のとなりを流れる、早川を渡りました。
そして、下の写真の左手に見える、緑地へ。



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箱根湯本駅の南側には、ポツンと、小さな山があります。
早雲公園、早雲寺林とよばれているみたい。





地形図を見るに、もしかしたら大昔は、この小さな山の南側にも川の流れがあり、
中州 (中島) のような地形だったのかも、って思う。

橋を渡り、湯本富士屋ホテルのわきにある、細い登山道をのぼりました。
この空間、湯本駅前の賑やかさとは、すでに無縁です。





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早雲公園は、自然林のなかに散策路が整備され、
箱根湯本駅と箱根旧街道をむすぶ近道としても利用されている。

かつて早川沿いには、スダジイ、タブノキの林が広く存在していたが、その多くは失われた。
早雲公園は、それが比較的まとまって保全される、代表的な郷土林である。

また、県内では湯本駅周辺でしか見られないヒメハルゼミの生息地でもあり、
生物保全と自然林保護のために、県天然記念物・早雲寺林に指定されている。
(公園内の説明板より)


ヒメハルゼミ、というセミが棲んでいるようですね。

今度は夏にきて、ヒメハルゼミを探してみようかな。
ちょっと苦手ですけどね、セミちゃん。



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そして、早雲寺林の尾根を越え、南へ下っていくと、
そこに、早雲寺があります。

寺名から察せられるとおり、あの人ゆかりのお寺です。



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早雲寺は、1521年、北條早雲の遺命により、その子・氏綱によって建立された。
以来、北條氏一門の香火所としてその盛衰をともにし、現在に至っている。
(お寺のまえの説明板より)


早雲寺は、小田原を拠点に、関東で活躍した戦国大名の、北条氏 (後北条氏) の初代、
北条早雲が建立を命じたお寺なんですね。

まあ、薄々勘付いていましたよ、うん。



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北条早雲は、もとは 「 伊勢盛時 」 という名で、号は 「 早雲庵宗瑞 」。
「 北条早雲 」 という名称は、後世のもののようです。

室町幕府の官僚だった伊勢盛時が、今川氏との縁から駿河に下り、
堀越御所を制圧して、伊豆への討入りを開始したのは、1493年。

そして、1495年 (- 1501年) ころに、大森氏の小田原城を掌握すると、
さらに三浦氏を攻撃して、1516年、新井城 (油壺) でこれを滅ぼす。(相模国平定)

1518年、嫡男の氏綱に家督をゆずり、
その翌年、1519年に、早雲は伊豆の韮山城で死去した。

「北条早雲」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2016年4月8日 (金) 18:42
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/北条早雲



Soun Hojo portrait
By 不明 [Public domain, Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons
URL : http://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ASoun_Hojo_portrait.jpg




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早雲 (伊勢盛時) の一族が、 「 北条氏 」 と称するようになったのは、
早雲の子・氏綱が当主になってから、と考えられているようですよ。

また、早雲の時代はまだ、伊豆の韮山(伊豆の国市) を居城としており、
氏綱への代替わりに伴い、本拠を小田原城に移したんですって。

「北条氏綱」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2016年3月14日 (月) 15:04
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/北条氏綱


早雲寺の創建は、早雲の死後すぐの、1521年のことで、
その立地は、新旧の本拠、伊豆と小田原とを結ぶ、東海道・箱根路の道中。

なので、早雲寺の建立は、小田原城を本拠とするにあたっての、
城周辺エリアの開発や、小田原 - 箱根 - 伊豆をつなぐ交通網の整備、
その一環として行われたものだったのかも。

それに、箱根峠の西側に山中城ができるのは、北条氏康 (3代目) のときなので、
それまでの間、小田原の西をまもる防衛施設としての機能を、早雲寺は持っていたのかも。



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後北条氏の菩提寺であった早雲寺、その境内は現在よりも広大で、
氏綱 (2代目) や、氏康 (3代目) の塔頭・墓所も建てられていたんですって。

しかし、1590年、秀吉軍による小田原攻めの最初の本陣にされてしまい、
その後、石垣山城が完成すると、秀吉は、早雲寺の一帯を焼き払ったんだそうです。

現在の早雲寺は、江戸時代に再興されたもののようです。

「早雲寺」 『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』 2014年1月22日 (水) 07:50
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/早雲寺




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本堂をお参り。

北條五代のお墓も、お参りさせてもらいました。



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本堂わきの、きれいに揃えられた庭の掃除道具に、
後北条氏の (早雲の) お家柄が偲ばれるような気がしませんか。

私のなかでの早雲イメージは、現在のところ、
時代小説 『 早雲立志伝 』 (海道龍一朗・角川書店) に拠る所が大きくて、

早雲寺の境内を歩いていると、小説のなかで伊勢盛時さんが、
京都の大徳寺で生活をしている姿が、なんとなく頭に思い浮かんできたりした。

後北条氏について、私は、まだ興味を持ち始めたばかり。

神奈川県民として、早雲を好きな一人として、小田原の町にもだんだん慣れてきたことだし、
これから色々と学んで、楽しもうと思ってます。



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