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Railtrip Landscape History

足利の樺崎八幡宮は、足利義兼の樺崎寺跡


太平記館のレンタサイクルで借りた、3段ギアの自転車をこいで、
足利のまちを、北へ、北へ。


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商店や、学校、住宅が密集するエリアを、またたく抜けると、
足利のまちをとり囲む、背の低い山々の連なりが見えてくる。

東と、西と、北に山がある足利は、小京都のひとつらしい。
でも、ここは関東なんだぜ、しかもけっこうコテコテの。



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すでに水が入れられた田んぼ、
カエルの低い鳴き声が、前から、後ろから。

ペダルの上の私は、そのなかを駆ける、駆ける。
陽射しが頭上に重たい、だけど、ときおり吹く風が涼しい。

太平記館から、およそ5キロ、40分も自転車をこぎこぎし、
わが目的の地、樺崎八幡宮に到着しました。



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足利の北東エリア、平地から山間に入ろうとするその一角に、
ぽつんと鎮座する、樺崎八幡宮。

この場所は、もとは樺崎寺という、
足利氏の大きなお寺があったんだそうです。



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樺崎寺は、鎌倉時代初期の建久年間(1190 - 1199)に、
足利義兼が建立した下御堂(法界寺)に由来するそうです。
(境内の説明板より)

足利義兼は、足利の地(足利荘)を本拠とした、
足利氏の2代目にあたる人物で、

足利の代表的な観光名所である、ばんな寺(鑁阿寺)も創建しているし、
鎌倉にある足利氏のお寺、浄妙寺の開基も、足利義兼です。



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足利氏は、源頼朝とおなじ河内源氏の一族で、義朝や頼朝が嫡流なのに対し、
源義家の子・源義国を祖とする傍流にあたります。

源義国は、1142年に足利荘(鳥羽上皇の安楽寿院領)を成立させ、
1150年、京から足利荘に下向。

義国の子・源義康が足利荘を継承し、足利義康を称す。
それが足利氏のはじまり。



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樺崎寺を創建した足利義兼は、足利義康の嫡男であり、
母は、熱田大宮司・藤原範忠の娘。

源頼朝の母・由良御前も、熱田大宮司・藤原季範(範忠の父)の娘で、
由良御前にとって、足利義兼の母は、姪にあたります。

つまり、足利義兼と源頼朝は、父系(河内源氏)、母系(熱田大宮司家)とも、
血縁的に近い立場にあります。

そうした縁もあってか、1180年に頼朝が挙兵すると、
足利義兼も参同し、義仲・平家の追討や、奥州合戦で活躍。

さらに足利義兼は、頼朝の正室・北条政子の同母妹の、
北条時子と結婚し、頼朝と相婿の関係に。

もしかしたら頼朝は、実の弟である、範頼や義経、全成よりも、
足利義兼のほうに親族的シンパシーを感じていたかも(?)



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父系、母系、そして妻の実家、頼朝と三重の絆で結ばれた足利義兼ですが、
その立場を悪用することもなく、実に謙虚に御家人生活を送り、

1195年の東大寺大仏殿・落慶法要に際し出家して、
この足利の樺崎寺に隠棲。

1199年に、この地で死去。
頼朝の死去から、およそ2ヵ月後のことでした。

足利義兼の子・義氏は、父の廟所として赤御堂を建立、
さらに八幡神を勧請し、父・義兼の霊を合祀。

その赤御堂は、のちの時代に荒廃と再建の曲折を経つつも、
現在の樺崎八幡宮につながっているようです。



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樺崎八幡宮がある一帯は、史跡・樺崎寺跡として、
いままさに復元整備の途中でした。

八幡宮の社殿と並んで、鎌倉時代にあったという多宝塔の跡地や、
足利氏の歴代を供養した御廟の跡地がありました。

東の方角を正面とする寺の前面には、
当時流行っていた浄土庭園の、大きな池が復元されている。

なんとなく、鎌倉の永福寺跡と似ている雰囲気がしました。



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樺崎寺は、足利氏が力を失った戦国時代に大きく衰退。
明治時代の神仏分離により廃寺となり、八幡宮のみ残ったんだそうです。

廃寺の際、木造の大日如来像や、足利歴代供養の10基の五輪塔は、
ちかくの光得寺に移されて、破壊を免れた。

私は、樺崎八幡宮のお参りのあと、再びチャリをこいで、
その光得寺に行ってみました。

足利歴代の五輪塔は、境内で見学することができましたよ。
かなりデカイです、そして、けっこう太かった。



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1142年 源義国により、足利荘が成立
1150年 源義国が足利に下向
1156年 保元の乱、足利義康が源義朝・平清盛とともに参加
1180年 頼朝が伊豆で挙兵
1181年 足利義兼と北条時子が結婚
1188年 足利義兼、鎌倉に極楽寺(いまの 浄妙寺)を創建
1190年頃 足利義兼、足利に法界寺(樺崎寺)を創建
1195年 足利義兼、東大寺で出家
1196年 足利義兼、足利の居館に持仏堂(ばんな寺)を建立
1199年 頼朝が死去(1147 - 1199)
1199年 義兼が死去(115? - 1199)
足利義氏、廟所として赤御堂を建て、八幡宮を勧請

1226年 樺崎寺の多宝塔が建立される
1333年 足利高氏が六波羅を攻撃、鎌倉幕府が滅亡
1336年 足利尊氏が室町幕府を開く
1413年 足利持氏により足利氏歴代廟所が整備される(推定)
戦国期に樺崎寺は荒廃
1681 - 1684年 喜連川氏により御堂が再建される
明治時代 神仏分離により樺崎寺は廃寺


「足利義兼」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年5月27日 (土) 01:30
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/足利義兼


「樺崎寺」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年11月22日 (火) 13:31
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/樺崎寺




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