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Railtrip Landscape History

上田城跡公園と、3つの櫓


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上田駅から、北西へ歩くこと、およそ10分。
ここは、上田城跡公園のメインエントランス。

かつての上田城の二の丸東虎口、すなわち、
二の丸への入口にあたります。

お堀に架かる橋をわたって、城跡公園のなかへ。



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ちなみに、この橋の下、堀の底を、
一時期(昭和3年 - 47年)、電車が走っていたんだとか。
(説明板より)



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東虎口をぬけて、二の丸にある市立博物館を横切ると、
そのさきは本丸になります。

本丸の入口は、櫓門と、2つの櫓がガッチリと連なった重厚な面構え。
迫力がありますよ、まさに城にきたぜ!って感じです。

櫓門(下の写真の右側)は、1994年に古写真をもとに復元されたもので、
東虎口櫓門というそうです。
(説明板より)



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櫓門の左右には、北櫓と南櫓、2つの櫓(やぐら)があります。
上の写真、左に見えるのは、南櫓です。

上田城は、1583年に、徳川家康との交渉により、
真田昌幸が築いた城ですが、

1600年の関が原の戦いのあと、昌幸と信繁(幸村)は九度山に配流され、
上田城は徳川により破却された。

江戸時代になると、徳川方になっていた真田信之(信繁の兄)が上田藩主となるも、
信之は1622年に松代へと移り、代わって、仙石忠政が藩主となります。

仙石忠政は、1626年から上田城の大改修を実施。
おもに本丸の整備がなされて、7棟の二層隅櫓と、2棟の櫓門が建設されました。

明治時代になり、上田城が廃城になると、7棟あった櫓のうち、
西櫓のみが残され、北櫓と南櫓は売却、そのほかは解体されてしまいます。

売却された北櫓と南櫓は、
上田遊郭の建物として使用されていたそうです。

それを、1942年に、市民の寄付により買い戻すことに成功し、
1949年、現在の位置に移築復元した。

「上田城」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年1月16日 (月) 03:26
URL: https://ja.wikipedia.org/wiki/上田城




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櫓門の前から、本丸と二の丸をわける堀をのぞく。

城跡公園の南側は、千曲川の河岸段丘のハケになっています。
ガクンとした高低差があり、城の南の防御は万全って感じです。

この崖下の一帯に、かつては千曲川の流れがあり、
尼ヶ淵とよばれていたそうです。



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東虎口櫓門と、北櫓と南櫓は、内部に入ることができます。

観覧券は、おとな一人 300円(2017年4月時点)。
櫓の観覧と、市立博物館とのセット券もあります。

建物のなかは、上田城が舞台になった上田合戦の解説ビジョンや、
上田城の古写真(江戸末期の姿)などが展示されていました。

そして、狭間から外の景色を眺める。



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木々のむこうにポツンと見えるのが、
仙石忠政の改修(1626年)から残る唯一の建物、西櫓です。

現在の城跡公園に、天守はありません。

現役当時の上田城に、天守があったのかどうか、
まだ調査中のようですが、天守あった説のほうが有力(?)みたいですよ。



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徳川を二度撃退し、歴史的な名城となった上田城も、
明治期にはずいぶん寂しいことになったんですね。

その上田城の復興のきっかけは、地元の住民の運動によるもので、
それは土地の誇りをもつ人々の勇ましいエピソードのように思えた。

上田城に対する誇りは、いまもなお継承されている。

城跡公園で活躍する、たくさんのガイドさんたちの姿から、
そんなことを感じたりした。



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