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Railtrip Landscape History

山ノ内本郷の證菩提寺


横浜市 栄区にある、本郷台駅に来ました。


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JR根岸線の本郷台駅は、大船のひとつ隣の駅です。
私は初めて下車してみました。

本郷台の駅前には、大きな高層団地が何棟もニョキニョキ建っていて、
第一印象としては、東京の高島平と似たような感じがしたな。

1973年に、根岸線の延伸により本郷台駅がオープンして、
それから駅周辺の開発が行われたようで、わりと新しい町、ニュータウンてやつですね。

その開発によって人口が増加したため、
1986年に、戸塚区から分化して、栄区が誕生した。
(wiki 根岸線、栄区より)



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本郷台駅から、横浜市の環状4号線を、東へ。
神奈中バスのルートに沿って歩きました。

本郷台の名前の由来となっている、本郷。
栄区の区域の大半は、旧鎌倉郡 本郷村 (1889 -1939) から成り立っています。

本郷の地域は、いまは横浜市に属していますが、
もともとは、鎌倉との関係が深いエリアだったようです。



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駅から、10分 - 15分ほど歩いたところにある、稲荷森のバス停に、
「 證菩提寺入口 」 の表示を見つけました。

この日、私が本郷台に来た目的は、その、證菩提寺のお参りなのです。
稲荷森バス停のところで右折し、環状4号線を離れて、南へ。



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こちらは、本郷の谷を流れる、いたち川。

横浜の河川は、バリバリにコンクリートブロックされていることが多いけど、
いたち川は、草木が多くて、自然に近い雰囲気がしました。

鳥や水の生物も多く暮らしているようで、子供たちがそれらを探す遊びをしていたし、
遊歩道を散歩する大人たちも、しきりに川のなかを覗きこんでいた。

いたち川を渡ると、證菩提寺があります。



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お参りしてきました。

山門から本堂があり、その右手に墓地。
證菩提寺の境内は、一般的な普通の、「 町のお寺さん 」 のサイズですが、

お寺が創建されたころ、鎌倉時代の證菩提寺の境内はとても広かったようで、
阿弥陀堂を中心として七堂を配した、幕府鎮護のお寺だったそうです。



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證菩提寺は、
鎌倉幕府の御家人・岡崎義実の子、佐奈田義忠を供養するために、
源頼朝の発願によって、1189年ころに完成しました。
(お寺の説明板 (栄区) より)

源頼朝は、1180年に伊豆で挙兵したあと、
石橋山 (小田原市) で平家方との合戦になります。

頼朝軍に参加していた佐奈田義忠は、その石橋山の戦いで、敵の俣野景久と戦闘になり、
取っ組み合いになって倒れたところ、長尾定景に討たれて戦死した。
(wiki 佐奈田義忠より)



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岡崎義実・佐奈田義忠、俣野景久・長尾定景、彼らはいずれも相模国の在地武士で、
相模国の行政の主導権を争う、ライバル関係にありました。

岡崎義実・佐奈田義忠の親子は、小田原や二宮など、
現在の神奈川県西部に拠点を持っていた豪族・中村氏の一員でした。

俣野景久と長尾定景は、親戚同士で、
現在の鎌倉市や藤沢市を領していた豪族・鎌倉党のメンバー。


石橋山の戦いと、その前後のストーリーは、源氏と平氏の戦いという捉え方だけでなく、
地元の有力な豪族たちが、自分たちの利益と存続をかけて、互いに争った戦い、という側面もあって、

それは、大河ドラマ 「 真田丸 」 の真田昌幸で表現されているところ、
大きな勢力のあいだに置かれた人間たちがする駆け引き、という点で、
どこか共通するものがあるのかなって思う。



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本堂の右手にある、裏山へと通じる階段を上ると、
その中腹のあたりのスペースに、岡崎義実の墓(五輪塔)があります。
( 上の写真に写ってるものではないです。 )

證菩提寺という寺の名前は、岡崎義実の死後 (1200年以降) のことで、
創建当初は、無量寿寺といったそうです。

ちなみに、岡崎義実が領していた伊勢原市の岡崎にも、無量寺という名のお寺があり、
そこは岡崎城の城跡でもあり、近くには、岡崎義実のお墓 (供養塔) がたてられています。



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鎌倉時代、本郷地域は、山内荘 本郷といい、
北条氏得宗家がもっていた山内荘 (北鎌倉) の一部でした。

山内荘は、得宗家が所有する以前は、土肥氏が管理していたようです。
土肥氏は、中村氏の一族で、神奈川県の湯河原を拠点にしていました。

岡崎義実は、もとは三浦の生まれですが、
土肥実平の妹と結婚して、中村氏の婿養子となっていました。

つまり、岡崎義実と土肥実平は、義理の兄弟の関係。

そのことが、證菩提寺にあるお墓と関係するのかどうか分からないんだけど、
とりあえず、岡崎義実と土肥実平って、お互い気が合いそうなタイプでしょ、なんとなく。



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しかし、そうした創建当初の意義は次第に薄れ、寺は荒廃してしまったそうです。

そのため、1236年に、3代執権・北条泰時は、娘の小菅ヶ谷殿を施主として、
本郷新阿弥陀堂を建立し、翌年には、北条政子の13回忌法要を営んだ。
(證菩提寺の説明板より)

北条泰時は、1237年には、やはり山内荘の粟船(大船)に、常楽寺を建立しているし、
この時期、鎌倉の北側の外延部の開発を進めていたのかも。


(マークは、證菩提寺)



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1180年 頼朝挙兵、石橋山の戦いで佐奈田義忠が討ち死(25歳)
1189年 證菩提寺を建立
1200年 岡崎義実が死去(89歳)

1213年 和田合戦 中村氏は、和田氏に与して敗れ、衰退
1215年 3代将軍・源実朝は證菩提寺を参詣
1216年 実朝が、2代執権・北条義時に命じて、佐奈田義忠の追善法要を行う

1236年 北条泰時、小菅ヶ谷殿の本郷新阿弥陀堂を建立
1237年 北条泰時、大船に常楽寺を建立

1250年 北条時頼、山ノ内のインフラ整備、證菩提寺を修復




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