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Railtrip Landscape History

佐奈田霊社、石橋山古戦場


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東海道線の、早川と根府川のあいだ。
石橋と米神にまたがって位置する、ここは石橋山のエリアです。

山の一角にある、佐奈田霊社をお参り。
平安末期の武士、佐奈田義忠を祀る神社です。



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佐奈田義忠は、治承4年(1180年)8月23日におきた、石橋山の戦いに、
源頼朝の軍の先鋒として参加していました。

そして、敵の武将、俣野景久・長尾定景と戦闘になり、
家臣の文三家安とともに、この地で討死にした。(享年25)

吾妻鏡には、1190年に頼朝が、伊豆山権現参拝の帰り、
佐奈田義忠と文三家安の墓を訪れて落涙した、と記されているそうです。

佐奈田霊社は、その後、
佐奈田義忠を神霊として祀ったものである。
(現地の説明板より)





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社殿のまえのスペースには、たくさんベンチが置かれていました。
そのうちのひとつに座って、しばし休憩。

佐奈田霊社は、およそ4キロある早川駅と根府川駅のあいだの、
まさに中間、2キロの地点にあります。



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佐奈田霊社のまわりに点在する、
石橋山の戦いについての史跡を紹介するマップです。

与一塚は、境内参道にあります。
佐奈田義忠の遺骸が葬られているとされている。

ねじり畑は、佐奈田義忠が俣野景久と激しく組み合ったあと、
長尾定景に討たれ、戦死したとされる場所。(標柱あり)



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上の図のとおり、
北条氏や工藤氏、中村氏を中心とする、頼朝軍300は、

大庭景親を中心とする鎌倉党の軍勢と、
伊東祐親の伊東氏の軍勢、あわせて3000に挟撃されています。

頼朝にとって、人生3度目(?)となる絶体絶命のピンチ。
(平治の乱の裁決を待ったとき、祐親に殺されかけたとき、今回)

雨夜のなか、合戦は佐奈田義忠の突撃から始まるも、
数に押されて、しだいに散り散りとなる頼朝軍。

頼朝は、箱根の山中を逃げさまよい、
味方だけでなく、敵の助け(!)も受けながら、
真鶴の岩浦から船に乗り、戦場からの脱出に成功したとされています。

「石橋山の戦い」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年2月29日 (月) 16:12
URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/石橋山の戦い


その脱出はあまりにも奇跡的で、敵も味方もほぼ全員が(景親と祐親以外)、
佐殿(頼朝)を守ろう、逃がそうとしていたようにさえ、私には思えてくる。

石橋山の戦いから一月半後、治承4年(1180年)10月7日、
この合戦の参加者の多くを従えて、頼朝は鎌倉に入る。



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石橋山に入ったあたりから、
猿追いの威嚇音が、たびたび聞こえてきた。

山の斜面から聞こえてくるのか、それとも、峰の向こうか。
佐奈田霊社に近づくにつれ、発砲音もまた近づく。

石橋山の戦いの当時、鉄砲はまだ伝わっていないけども、
古戦場に響く乾いた音は、やけに生々しく感じた。



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