Ce n'est rien.

Railtrip Landscape History

Archive: 2016年07月

今井浜と、カニやウツボ

 31, 2016

熱川から、普通電車に乗り、片瀬白田、伊豆稲取、そして、今井浜海岸で下車しました。外見的には、あきらかに東急線の車両 (東急から導入した車両)。でも中に入ると、海側の座席がボックスシートになっています。それと、ワンマン運転なので、停車してからドアが開くまで、ほんのワンテンポ、時間差がある。その一瞬の時間の余白、好きです。伊豆のリズムって感じがして好き。駅から歩いて、今井浜海岸までは、1 - 2分。伊豆急の...

熱川、小さな谷の温泉の町

 26, 2016

湯けむりモクモク、源泉ほぼ100℃、伊豆の熱川。その名のとおりなのか、町を流れる川の水は、とても熱そう。川の流れに沿って、旅館街の坂を下り、海岸のほうへ向かいました。駅から海岸までは、3 - 4分ほどです。熱海や伊東のような大きさはありませんが、小さな谷の温泉の町、ここで過ごす心地良さがあるように感じた。海の近くにある足湯に入り、ビーチを眺めたりしながら、いずれは泊まりで来たい、しばらく滞在してみようか、...

小田急EXE、伊豆急黒船、スーパービュー

 25, 2016

朝の小田急線、ロマンスカーEXEに乗って、小田原へ。シックなボディの、ビジネスタイプなロマンスカーも、朝の時間の下りの列車は、多くの旅人や登山者たちを運んでいく。大きなちょうちんの下をとおり、JRの改札を抜ける。コンコースからは、小田原城の天守閣が見えます。このさきは、私にとって、日常ではない世界。駅から見る小田原城の天守閣は、そう感じさせてくれる。小田原からは、東海道線に乗り、早川、根府川、真鶴、湯...

小田原、城山から海辺まで

 22, 2016

小田原城の遺構、小峯の東堀を抜けると、目の前に現れた、海と山。早川の河口の風景、小田原の魚市場がある辺りです。遠くに真鶴半島が、水平線には伊豆大島も見えました。そして正面には、果樹園が広がる、小さな丘。秀吉が、一夜で築いたように見せかけたという、石垣山城があったのは、どうやら、あの丘の頂上のあたり。城山を下り、旧道を抜けて、小田原の海へ。小田原の海辺は、ジャリジャリっとしています。波が引いていくと...

小田原城のいくつかのお堀

 20, 2016

それはそれは、暑い一日。相模大野の下りホームにて、快速急行・小田原ゆきを待つ。あらゆる町の再開発は、まず、道路建設から始まる。小田原への移動中、今後、高架道路ができるであろう、怪しげな橋脚の並びをいくつか見つけた。いつか、小田急線の車窓から、大山の姿が消えてしまう日が来るのかもしれない。小田急に乗って西へ移動するときは、いつもそのことを不安に思う。そうしているうちに、小田原に到着します。小田原駅の...

報国寺と、字宅間

 16, 2016

浄妙寺をお参りしたあと、滑川を渡って南へ。報国寺を訪ねました。竹、高いです。竹林で有名になっている報国寺、たくさんの訪問者の姿。とても元気で賑やかな境内には、それぞれの過ごし方があった。竹林のなかを一周し、ベンチに腰をかけて石庭を眺めていると、境内の奥の、山肌のなかに、やぐらが3つ開いているのに気がつきました。やぐらのなかにある塔群は、お寺の公式サイトで紹介されている、足利一族の墓や、北条氏・新田...

鎌倉の、浄妙寺まわり

 13, 2016

鎌倉駅前から、京浜急行バスに乗り、金沢道を東へ進む。そして、浄明寺バス停で降り、すぐ北側にある、浄妙寺を訪ねました。浄妙寺の山門には、足利氏のマーク。足利氏の2代目、足利義兼が建立した、足利氏のお寺です。中興の足利貞氏は、室町幕府の将軍・足利尊氏のお父さん。本堂でのお参りのあと、境内にある、貞氏さんの墓所もお参り。室町幕府の将軍だった足利氏は、京都イメージが強い一族だけど、貞氏の代までは、足利氏は...

汐留から、築地のあたり

 09, 2016

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金沢八景駅

 08, 2016

久々に訪ねた金沢八景駅は、工事中でした。わりと前から工事してたみたいだけど。将来的には、シーサイドラインが数十メートル延伸されて、2018年度までに、京浜急行の駅と、間近に連絡することになるそうです。小さなお店が並んでいた以前の駅前の風景も、好きでしたけどね。両駅をむすぶ連絡橋から見る、平潟湾の風景も好きです。...

文庫から、泥亀のあたり

 04, 2016

金沢文庫の展示を見学したあと、称名寺をお参り。寺前の道を歩いて、洲崎のほうへ向かいました。そして、イオンの近く、国道16号沿いにて。下の写真は、泥亀新田開発の遺跡のひとつ、姫小島水門です。金沢八景から金沢文庫にかけての土地は、もともと内海だったんだけど、1668年に、永島祐伯という幕府の人物が、海を埋立てて、新田開発をスタートさせました。洪水や災害、また財政難により、工事はいくども頓挫しますが、およそ18...