Ce n'est rien.

Railtrip Landscape History

Category: 鎌倉

相模湾を抱えるように

 03, 2017

片瀬から、腰越、七里ヶ浜、稲村ヶ崎まで、江ノ電の線路に沿って歩きました。江の島の向こうに見える箱根の山々と、そのさきに伸びるのは、伊豆半島。それと対をなすように、視界の左手には、三浦半島の町々が、陸の先端まで続いている。海を両手で抱え込むようにして、二つの半島が存在し、相模の海が 「 湾 」 であることが、鎌倉からはよく分かります。水平線に浮かぶ伊豆大島を合わせると、まるで内海、ひとつの大きな湖のよう...

朝夷奈切通・Asaina Pass

 10, 2016

鎌倉の北東にある、朝夷奈切通。鎌倉と六浦をむすぶ、鎌倉幕府がつくった道です。六浦の港は、全国各地や、宋との貿易をするための、鎌倉幕府の海運の拠点でした。港から鎌倉市中へ、物資をスムーズに輸送するため、1241年、北条泰時により、朝夷奈切通は開削された。切通の、鎌倉サイドには、まるで川の浅瀬を歩くような、石の段々。朝夷奈切通の名物であり、最大の難関地点でもあります。すってんころりんしないように、くれぐれ...

八景から、鎌24バスで、十二所へ

 06, 2016

横浜から、京浜急行の快速特急に乗り、上大岡、金沢文庫、そして、金沢八景駅で下りました。八景駅前の工事、着実に進んでいるようです。シーサイドラインの新たな駅が築かれつつあったし、そこへ通じるための高架線の橋脚も立てられていました。名物の歩道橋は、ほぼ撤去されていましたよ。前に来たとき歩いておいて良かった。八景からは、バスで移動です。京浜急行バスの、鎌24系統・鎌倉ゆきに乗りました。金沢八景駅と鎌倉駅を...

二階堂大路・二階堂川・義時の大倉亭

 17, 2016

覚園寺の拝観のあと、薬師堂ヶ谷の道を歩いて、鎌倉宮の前まで戻りました。そして、二階堂大路を南へ。六浦道の岐れ路交差点から、鎌倉宮へと通じる、京浜急行バスの経路になっている、大きめの車道。そのひとつ東側にある道が、二階堂大路です。吾妻鏡にも載っている鎌倉時代の道ですよ。下の地図のマークが、上の写真を撮影したポイントで、マークされている道が、二階堂大路です。大路、というわりには、小じんまりとしたカワイ...

鎌倉・薬師堂ヶ谷の、覚園寺

 14, 2016

鎌倉の路地裏、民家の塀に広がる、葉っぱの赤い彩り。今年は寒くなるのが早かったわりに、鎌倉の紅葉の季節は、まだもう少しさきのようです。この週末、赤い葉っぱを見かけたのは、この路地裏だけだったし、イチョウの木は、ほんのり黄色くなり始めたばかりでした。私は、鎌倉駅から、幕府の路地を抜けて、大蔵へ。六浦道に入り、岐かれ道を左へ曲がると、鎌倉宮に着きます。さらに、鎌倉宮から北西へ向かう道を歩きました。薬師堂...

鎌倉幕府を歩く・宇都宮稲荷と、若宮大路幕府

 25, 2016

If you want to feel Kamakura Shogunateここは、鎌倉、鶴岡八幡宮の二の鳥居。新装された段葛のスタート地点です。二の鳥居から、若宮大路の東側を北へ歩くと、すぐ近くの道端に、若宮大路バス停があります。バス停と、右に見える建物は、鎌倉彫資料館。そのあいだに、一本の路地が伸びています。路地のさきには。住宅の角っこに、寄り添うようにして鎮座するお社、宇都宮稲荷神社です。たくさんの観光客が往来する若宮大路、そこ...

鎌倉幕府を歩く・頼朝の大蔵幕府跡

 22, 2016

If you want to feel Kamakura Shogunateここは、鎌倉、鶴岡八幡宮。境内を東西にのびる流鏑馬の馬場、その東端にある鳥居です。鳥居をくぐり、神社の敷地の外に出ると、そこには、横浜国立大学付属の小学校・中学校があります。学校の校庭に沿って、さらに東へ進んでいくと、今度は、清泉小学校の校舎が見えてきます。下の写真は、清泉小学校の敷地の南西角の、小さな交差点。写真をよく見ると、石碑がひとつ立っているのが分かり...

佐助稲荷神社と、佐殿

 07, 2016

鎌倉駅の西側を縦にとおる今大路の、とある一角を曲がり、西へ。佐助トンネルを抜けると、そこは佐助ヶ谷です。佐助ヶ谷にある、佐助稲荷神社と、銭洗弁財天。どちらの神社も、頼朝がみた夢のなかでのお告げに縁があるようです。赤い鳥居がならぶ階段をあがり、佐助稲荷神社をお参り。コケとシダが生い茂る岩崖を、どこからか湧いてきた水が垂れて、地面を濡らし、葉を濡らし、肌を濡らす。ジメジメとしつつも、かすかに匂う潮風の...

鎌倉権五郎神社の界隈

 03, 2016

長谷駅から、江ノ電の線路に沿って歩いたところにある、御霊神社。鎌倉権五郎景正(景政)を祀っています。権五郎景正(かげまさ)は、鎌倉氏一族のひとりで、平安時代に鎌倉に住んでいた武士です。16歳のとき、源義家(頼朝の先祖)の軍勢に加わり、後三年の役(1083 -1087)を戦ったときのこと。権五郎景正は、誰よりもさきに敵の陣地に突っこむと、片目を矢で射られながらも、それを意にも介さず、さんざんに暴れまわり、その挙...

極楽寺坂の西方寺跡あたり

 02, 2016

横浜の新羽にある西方寺をお参りしたあと、鎌倉へ。江ノ電に乗り、極楽寺駅で降りました。彼岸花の参道が美しい西方寺、いまは横浜市の新羽にありますが、そもそも、鎌倉にあったお寺さんなんだそうです。鎌倉幕府草創期の、1190年に鎌倉の笹目で創建され、鎌倉中期に、極楽寺の東の山中に移転。「 極楽寺境内絵図 」 をネット検索すると、極楽寺の最盛期を描いた絵図を見ることができるのですが、その絵図の右下のほうに、西方寺...