TAKE YOU FOR A WALK

When The Setting Sun

Category: 東京の旅

「縄文土器 JOMON」上野東京国立博物館

 19, 2018

最近、縄文土器に対して熱い人が増えていて、ひそかに注目を集めつつある、そう聞いてました。私も興味はあったのですが、土器の世界は未体験なので、はたして自分も興奮できるのかどうか、半信半疑でした。そんな心持ちのなか行ってみました、上野の東京国立博物館、「縄文 JOMON 1万年の美の鼓動」来ました、私にもガツンと来ました。ガンガンにガン見してきました。会場のみなさんも興奮状態で、縄文の情熱にあふれてましたよ。...

渋谷の谷底

 06, 2018

便利な発展途上国の谷底生活。まるでウブな塀のなか。あふれあふれて止まらない。私たちの膿んだ速決性。体内の後進性がまったく追及されていく。...

青山斎場、或S病院の跡地

 04, 2018

港区にある青山斎場では、1916年に夏目漱石の葬儀が行われ、その受付を漱石門下にあった芥川龍之介が務めた。芥川龍之介の小説『歯車』のなかで、「僕」は、青山の墓地に近い或精神病院へ行こうと、緑のタクシイをおりて歩くのだが、どうしてか道を間違えて、青山斎場に出てしまう、という描写がある。「僕」が行こうとした或精神病院とは、かつて青山に所在した脳病院で、その患者であった芥川龍之介は、院長の斎藤茂吉のもとで受...

芥川龍之介の田端の旧居跡

 26, 2018

田端にある芥川龍之介の旧居跡。大正時代に文豪、詩人たちを集めた文士の村は、戦争による被害で大きく失われてしまったらしい。それでも古い面影が残っているかとおもったが、縦横無尽の大きな街路に、いかにも今風の新たな住宅、道を行くのは今風の夫婦で、ときどきは昔風のおじさんも。私の地元とさほど変わりがない風景。芥川龍之介の故地を訪ねようと思ったのは、萩原朔太郎が龍之介と交際していたのを知ったから。二人に親交...

田端文士の村

 23, 2018

JR山手線の、田端駅から南へ500メートル程、谷田橋の交差点を西へ入ったところにある、小さなお社。この田端水神稲荷神社のちかくで、詩人の萩原朔太郎が、1925年(大正14年)の4月から11月までの、約8か月を過ごしたらしい。朔太郎は、38歳のときに前橋から上京、まず大井町に住み、それから田端に転入し、妻の療養のため鎌倉へと移った。大正当時の田端は新興住宅地だったそうで、芥川龍之介を中心とした文士の村が形成されて...

渋谷の森で

 28, 2018

都会にあるものも、多くの場合、結局のところは、自然のものから造られているらしい。自然のなかにあった様々な素材を、貨物船や、トラックや貨物列車に載せて運びこみ、よくよくかき混ぜてから、ぺたぺたっと積み上げる。そうしてやがて街となり、私たちの活動となる。そうすると都会とは、集積されて凝縮された自然?都会はあまりにも自然であふれすぎている。...

代田の、61号鉄塔

 29, 2018

複々線化のため地下となった、小田急線の世田谷代田駅を出て、南へすこし歩いたところにある、一本の鉄塔。この鉄塔の下には、詩人の萩原朔太郎が、1933年(昭和8年)から、1942年(昭和17年)に亡くなるまで住んでいたらしい。「萩原朔太郎」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年11月26日 (日) 06:53URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/萩原朔太郎61号鉄塔は、1926年(昭和元年)に建てられたもので、当時緑豊かな...

霞ヶ丘競技場

 21, 2017

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夏目坂、漱石山房

 15, 2017

東京メトロ副都心線の西早稲田駅を出て、学習院女子大学のわきを歩き、戸山公園(箱根山)へ。少年たちの野球を見ながら、ワセダベーカリーのパンを食べたあと、早稲田大学の手前にある、穴八幡宮をお参りしました。穴八幡宮は、蟲封じの祈祷で有名なんだそうで、かつて、夏目漱石の夫人が、漱石の蟲封じにお参りをしたという。境内からすこし歩くと、東京メトロ東西線の早稲田駅の出入口があり、そこから南へと伸びる坂は、夏目坂...

九品仏の落ち葉

 25, 2017

雨あがりの九品仏浄真寺、濡れた地面に広がる落ち葉が、ひときわ美しく、行きかう人々の顔はみな柔らかだった。「大きな木ね」「こっちのは最近植えたようですね」ふとした会話がまだのこる町。...