FOR A WALK

in the landscape

Tag: 近代文学

郊外の田園の憂鬱

 18, 2018

小田急線の鶴川駅から、田園都市線の市が尾駅まで歩く。ここ、横浜市の鉄町は、佐藤春夫の小説、『田園の憂鬱』の舞台となった場所らしい。郊外の田園の憂鬱。古臭い農家思想に育つも運命。周囲とのギャップも、ニヒリズムも運命。萩原朔太郎の詩に共感するも、太宰治の作品に苦悶するも。自分の過去を見つめ、生まれをあぶりだし、その生まれの自分を殺す。運命に降参せず、まわりも気にせず、まさに平気で戦おう。それは宿命にあ...

色を重ねる

 25, 2018

広島の平和記念公園にある、峠三吉の詩碑。「ちちをかえせ ははをかえせ」『原爆詩集』の“序”が記されています。峠三吉の『原爆詩集』(岩波文庫)を買ってしばらく経つのですが、なかなかページをめくることができずにいます。表現があまりにも恐ろしく、空間の内部に飛びこむようで、臆病になり、思わず本を閉じてしまう。平和記念資料館を見学したあと、広島のまちを散歩。被爆地蔵、被爆ポンプ、慰霊碑。町のなかで、日々の生...

芥川龍之介の田端の旧居跡

 26, 2018

田端にある芥川龍之介の旧居跡。大正時代に文豪、詩人たちを集めた文士の村は、戦争による被害で大きく失われてしまったらしい。それでも古い面影が残っているかとおもったが、縦横無尽の大きな街路に、いかにも今風の新たな住宅、道を行くのは今風の夫婦で、ときどきは昔風のおじさんも。私の地元とさほど変わりがない風景。芥川龍之介の故地を訪ねようと思ったのは、萩原朔太郎が龍之介と交際していたのを知ったから。二人に親交...

田端文士の村

 23, 2018

JR山手線の、田端駅から南へ500メートル程、谷田橋の交差点を西へ入ったところにある、小さなお社。この田端水神稲荷神社のちかくで、詩人の萩原朔太郎が、1925年(大正14年)の4月から11月までの、約8か月を過ごしたらしい。朔太郎は、38歳のときに前橋から上京、まず大井町に住み、それから田端に転入し、妻の療養のため鎌倉へと移った。大正当時の田端は新興住宅地だったそうで、芥川龍之介を中心とした文士の村が形成されて...

鎌倉坂ノ下、海月楼の跡あたり

 15, 2018

鎌倉文学館で購入した、萩原朔太郎の生誕130年の特別展、「マボロシヲミルヒト」(平成28年開催)の図録を頼りに、萩原朔太郎が、1916年(大正5年)の12月から、翌年2月まで過ごしたという、旅館・海月楼の跡地を探しました。萩原朔太郎は病気療養をかねて、鎌倉坂ノ下にある海月楼に滞在し、第一詩集となる『月に吠える』を編集した。私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみと、そのよろこびとをかんずる。詩は神秘でも 象徴でも 鬼...

代田の、61号鉄塔

 29, 2018

複々線化のため地下となった、小田急線の世田谷代田駅を出て、南へすこし歩いたところにある、一本の鉄塔。この鉄塔の下には、詩人の萩原朔太郎が、1933年(昭和8年)から、1942年(昭和17年)に亡くなるまで住んでいたらしい。「萩原朔太郎」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年11月26日 (日) 06:53URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/萩原朔太郎61号鉄塔は、1926年(昭和元年)に建てられたもので、当時緑豊かな...

夏目坂、漱石山房

 15, 2017

東京メトロ副都心線の西早稲田駅を出て、学習院女子大学のわきを歩き、戸山公園(箱根山)へ。少年たちの野球を見ながら、ワセダベーカリーのパンを食べたあと、早稲田大学の手前にある、穴八幡宮をお参りしました。穴八幡宮は、蟲封じの祈祷で有名なんだそうで、かつて、夏目漱石の夫人が、漱石の蟲封じにお参りをしたという。境内からすこし歩くと、東京メトロ東西線の早稲田駅の出入口があり、そこから南へと伸びる坂は、夏目坂...

平和島駅のまわり

 11, 2017

萩原朔太郎詩集をカバンに入れたまま、平和島駅から大森町駅のあいだを散歩。旧東海道の道筋だという、三原通りの商店街は、月に一度の安売りセールで、店舗まえに机を出して販売していた。詩人の住みよくない時代というのは、時代のほうがどこか間違っている萩原朔太郎詩集 解説何年か前に読んで、まったく意味が分からなかった『萩原朔太郎詩集』(新潮文庫)。数年たち、『猫町』(岩波文庫)を読んでからというもの、萩原朔太...