FOR A WALK

in the landscape

Tag: 萩原朔太郎

田端文士の村

 23, 2018

JR山手線の、田端駅から南へ500メートル程、谷田橋の交差点を西へ入ったところにある、小さなお社。この田端水神稲荷神社のちかくで、詩人の萩原朔太郎が、1925年(大正14年)の4月から11月までの、約8か月を過ごしたらしい。朔太郎は、38歳のときに前橋から上京、まず大井町に住み、それから田端に転入し、妻の療養のため鎌倉へと移った。大正当時の田端は新興住宅地だったそうで、芥川龍之介を中心とした文士の村が形成されて...

前橋、休日の午前

 19, 2018

前橋は猫は多いです、とのことだったけど、まだ午前中だったからか、人もまばらで、見つけた猫も一匹だけ。それよりもむしろ、鳩が多かった。萩原朔太郎とボードレールは、ともに都会の群集のなかを求めた詩人で、そこに共通点があり、似ていると言われる。ただ、萩原朔太郎の孤独について、私としては、むしろ、カフカの匂いがするように思う。...

実を結ぶのは、花の散るあと

 20, 2018

やさしく我の生くる日にやさしく我の瞳を転ずひとみを転ずうみのうへひとみを転ずきみのうへまたもろもろの魚鳥のうへわれのあかるき美しきわれのするどきいぢらしきわれの額とわれの脣われの心とわれの胸われの思は遠くしてわれの愁はいや深しわれのみひとりしみじみとわれのみひとり血をながす萩原朔太郎 「自画像」習作集第九巻(『萩原朔太郎全集第二巻』 筑摩書房)より30年来の腐った心棒をぽっきり折って、新しい芽を育て...

鎌倉坂ノ下、海月楼の跡あたり

 15, 2018

鎌倉文学館で購入した、萩原朔太郎の生誕130年の特別展、「マボロシヲミルヒト」(平成28年開催)の図録を頼りに、萩原朔太郎が、1916年(大正5年)の12月から、翌年2月まで過ごしたという、旅館・海月楼の跡地を探しました。萩原朔太郎は病気療養をかねて、鎌倉坂ノ下にある海月楼に滞在し、第一詩集となる『月に吠える』を編集した。私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみと、そのよろこびとをかんずる。詩は神秘でも 象徴でも 鬼...

代田の、61号鉄塔

 29, 2018

複々線化のため地下となった、小田急線の世田谷代田駅を出て、南へすこし歩いたところにある、一本の鉄塔。この鉄塔の下には、詩人の萩原朔太郎が、1933年(昭和8年)から、1942年(昭和17年)に亡くなるまで住んでいたらしい。「萩原朔太郎」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年11月26日 (日) 06:53URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/萩原朔太郎61号鉄塔は、1926年(昭和元年)に建てられたもので、当時緑豊かな...

平和島駅のまわり

 11, 2017

萩原朔太郎詩集をカバンに入れたまま、平和島駅から大森町駅のあいだを散歩。旧東海道の道筋だという、三原通りの商店街は、月に一度の安売りセールで、店舗まえに机を出して販売していた。詩人の住みよくない時代というのは、時代のほうがどこか間違っている萩原朔太郎詩集 解説何年か前に読んで、まったく意味が分からなかった『萩原朔太郎詩集』(新潮文庫)。数年たち、『猫町』(岩波文庫)を読んでからというもの、萩原朔太...