Ce n'est rien.

Railtrip Landscape History

Tag: 古代ロマン

水城と、ヒガンバナ

 20, 2017

664年、大宰府を守るために建設された、水城。当時の先端的な土木技術が結集された、巨大な土塁です。全長1.2キロメートルある水城のうち、私は西鉄・下大利駅ちかくの、東門跡の周辺を歩きました。このとき、土手には、赤と白のヒガンバナが咲いていた。コスモスは、10月から11月にかけて咲くようにしているらしい。ほんの少しの時間だけ、ここを歩いて帰った私は、いつもここを歩き、季節と時間の移り変わりを知る人たちに出会っ...

観世音寺、戒壇院

 18, 2017

大宰府政庁跡の東にある、観世音寺。唐・新羅に滅ぼされた百済(660年)の復興要請に応えるため、みずから九州の地まで赴いた斉明天皇は、661年、朝倉橘広庭宮(福岡県)において崩御した。観世音寺は、皇子の中大兄(のち天智天皇)の発願により、母の追善のために建立され、746年に伽藍が完成したという。「観世音寺」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年10月3日 (火) 18:19URL: http://ja.wikipedia.org/wiki/...

坂本八幡宮、万葉集歌碑

 16, 2017

大宰府政庁の北西にある、小さな神社。戦国時代に創建された坂本八幡宮、平安期にはお寺だったとも。その周囲は、大伴旅人の館跡と伝えられている。(説明板より)奈良時代、728年から730年まで、大宰府の長官(大宰帥)として赴任していた、大伴旅人。もしかしたら、この場所には、大宰府長官の官邸があったのかも。境内の石碑に刻まれるのは、万葉集に収録されている、大伴旅人の歌。奈良の都から大宰府に下り、間もなくして、妻...

大宰府政庁跡

 15, 2017

古代において、諸外国との玄関口だった、博多の那の津。その博多湾から、15キロあまり内陸にある、ここ太宰府は、外交と防衛、さらに九州の行政を統括する、大宰府政庁が置かれていた。写真の石碑は、大宰府の中核たる政庁にあって、長官が政務を取り、儀式儀礼などが行われた、正殿の跡を示すもの。私は、太宰府天満宮を参拝したあと、御笠川を渡って西へ歩き、大宰府政庁の跡地へとやって来ました。7世紀後半の飛鳥時代に、大和...

筑紫の館、鴻臚館跡、舞鶴公園

 29, 2017

今よりはもう 秋になってしまったらしい。山の松かげで ひぐらしがないている。ここは、福岡は天神の西にある、舞鶴公園。黒田官兵衛・長政の親子が築いた、福岡城の跡地にあたる公園です。その公園内に置かれている石碑に刻まれた文字は、万葉集におさめられた歌の一首で、736年に、新羅へ派遣される大和朝廷の使節一行が、この地で望郷の想いを詠んだもの。私は、福岡市地下鉄の赤坂駅で下車して、舞鶴公園を散歩しました。舞鶴...

ならまち、元興寺、庚申堂

 04, 2017

奈良の旧市街、ならまちを歩きました。伝統的な町家がならぶシックな景観に、多彩なジャンルの商店、東大寺や奈良公園といった有名観光地に近いこともあり、ならまちの町歩きが人気になりつつあるようですね。女性雑誌とかで取り上げられているのをよく見かけます。ならまちは、もともと、元興寺(がんごうじ)の境内だったそうです。元興寺は、588年に蘇我馬子によって飛鳥に建てられたお寺で、都が奈良に遷されたときに、一緒に...

さあ、平城宮跡へ行こう!

 24, 2017

梅雨の合間の炎天のもと、草の原のむこうを、近鉄の列車が、右へ左へ、さかんに通りすぎていく。奈良ゆき、京都ゆき、難波ゆき。子供のころ、鉄道図鑑で見たビスタカー、その本物が走ってる。私がいるこの場所は、奈良の大和西大寺駅から、東へ500メートルほど歩いたところ。地図上のマークを中心に、東西・南北およそ1キロ四方の、原っぱになっている土地があります。ここは、平城宮跡です。奈良の都そのもの(条坊)のことを、平...

勝坂遺跡公園の有鹿神社奥宮

 22, 2017

相模原市 南区 磯部にある、勝坂遺跡公園(かっさか)を訪ねました。丘の上には、縄文時代のものだという、大きな集落の跡が発見されている公園です。私はこの日、丘の下のほう、湿原の小道を歩きました。有鹿谷と呼ばれるこの谷は、いたるところに湧水があります。それらの水はやがて、ちかくを流れる鳩川へと注がれていきます。鳩川は、相模川と平行しながら南へと流れ、左岸用水という用水路と交差したりしたあと、海老名で相模...

相模国分尼寺の跡地

 10, 2017

ここは、海老名駅から、尼寺交差点、並木橋をとおり、北東へ少し移動したところにある、小田急線の踏切。この踏切の東側に、ひとつの石碑があります。それは、相模国分尼寺講堂跡の碑。国分寺は、奈良時代、741年に、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」により、仏教による国家鎮護を実現するため、建立を命じられた寺院。律令各国ごとにそれぞれ、国分僧寺と国分尼寺を、1つずつ設置したそうです。関東でいうと、市名や駅名にもな...